マゴソスクールの報告をしたいと思います。

私は5年ぶりにケニアのマゴソスクールを訪れた。私を支援して下さっているS先生と共に。
今回マゴソスクールを訪れる際、中学校時代の担任の先生方の協力を得て、明治池中学校の生徒達から支援物資を集めることができた。明治池中学校には早川千晶さんも講演に訪れてくれ、協力してくださった。
私は彼らが心を込めて作成した貼り絵と彼らと早川千晶さんの集合写真と支援物資を持ってマゴソを訪れた。
マゴソに行きリリアンさんやティーチャー・オギラ、ティーチャー・ダン、オドンゴ達や子どもたちの姿を見ると涙が出た。
皆が生きていてくれたことが嬉しかった。
何故なら去年1年で沢山の人たちが火災の事故や、病気で立て続けに亡くなった。その数11人あまり。
それを思うと涙が出た。

私たちが訪問することが決まり、本来ならば12月の最初の日曜日に行うクリスマス会をリリアンさんと早川千晶さんが予定を合わせてくれ、クリスマス会に参加することができた。
クリスマス会はとても感動的なものだった。そしてそれはマゴソにとって大切なイベントだと感じた。
沢山のプログラムの中でも子供たちの歌、ファッションショー、お祈り、これが1番印象的であった。
子供たちが「アフリカ」を生で歌ってくれた。マゴソの代表的な歌。私の中でもとても大切な歌。
これを聞いていると自分の中の大切な思いや決意を思い出させてくれる。8年前に感じたあの大切な思いを。自分が苦しくて苦しくて未来に希望なんか持てずにくすぶっていたあの時、この歌が私に力を与えてくれた。そんな大切な歌。それを生で聞くことができて思わず泣いていた。そして彼らと一緒にダンスをみんなで踊り、マゴソの会場が一気に団結したようなそんな気がした。

そして一大プログラムのファッションショー。
リリアンさんが心を込めて作った服を子どもたちが着てファッションショーを行った。
今年のテーマカラーは「黄色」
それには大切なリリアンさんの願いが込められていた。
冒頭でも書いていたように2015年は沢山の大切な人たちが立て続けにこの世を去った。そして沢山の人たちが心を病んだ。それはマゴソを設立したリリアンさんや早川千晶さんにとって言葉では表せない苦しさ、悔しさ、悲しみを背負っているに違いない。
そんなリリアンさんが2016年は「沢山の人たちが幸せになるように」と願いを込めてテーマカラーを「黄色」にしたと早川千晶さんが教えてくれた。
その服を着てショーを行った子どもたちの表情は皆が自信に満ち溢れ、服をお洒落に着こなし、皆を魅了させた。
実際にツアーに参加していた親子はマゴソの子どもがショーで着ていた服とカバンを気に入りその場で買った程であった。それ程素敵なファッションショーだった。

そしてその後はお祈り…
この世を去った沢山の人たちに対する感謝の気持ちやこの立て続けに起きた不幸を断ち切ろうという願いがこもっていた。
お祈りは「今この場にいるはずだった私たちの大切な仲間がこの世にはいません。」そのような言葉で始まった。
日本でもマゴソを支えていた大切な人が亡くなった。それはリリアンさんや早川千晶さん、マゴソの子どもたちにとってとても悲しい出来事。私にとってもとても悲しい事だった。私はS先生と隣同士で座ってお祈りをしていたのだが2人とも気がつくと大号泣していた。
私にとってマゴソは人生を変えてくれた大切な場所、大切な家族。
それはマゴソの子たちの講演を聞いた時、私は彼らの境遇とリンクするものがあった。何故なら私は本当に心が病んでいた。自分の現実が受け入れきれずに寂しくて苦しくて自分の感覚を麻痺させる事しかできなかった。明日という日に希望なんてなくて、生きているのがただ辛かった。でも彼らの目は輝いていた。何故こんなに苦しいのに何でそんなに輝いているの?私はそれが知りたくてケニアに行きたい!と口に出し、それが5年前に実現した。S先生や沢山の人たちの支援を受けて。そして私の人生が変わった。私に人生を変えるチャンスをくれた。だから私にとってマゴソは本当に大切な場所、家族。
その大切な人たちが悲しんでいることに耐えられなかったのかもしれない。じぶんでも何故泣いているのかわからないが涙がずっと流れていた。
そして彼らと一緒にお祈りできたことに感謝した。

そして次の日はマゴソOBOGclubのミーティングに参加させて頂いた。
ミーティングはOBOGclubの1年の報告から始まった。
皆それぞれ現状報告をする。pv作成をしたいこと。airtelからsafaricomに就職できてyayacenterと言う大きなモールのsafaricomショップで働いていること。などなどを報告し合う。
そして私も少し話をさせてもらった。明治池中学校の生徒から預かったものを渡したり、生徒にお礼のメッセージを書いてもらった。
そしてマゴソの現在の状況などの会議を行った。

ティカから帰った私とオドンゴはその足でマゴソスクールへ。
マゴソで明治池中学校の生徒から支援物資や貼り絵、写真を貰ったことをオドンゴが皆に話してくれ、お礼の絵を皆に書いてもらった。彼らはとても真剣に素敵な絵を書いてくれた。そして私はその彼らの思いの詰まった絵を持ち日本へ帰ってきた。

今回ケニアを訪問出来たことはとても良かった。5年前とはまた違った視点でものを見て感じることができた。
私の夢は教師になること。
それは自分と同じような子どもを増やしたくない。苦しんでいる子どもたちを助けたい。大人を信用出来なくなってしまった子どもたちに教えたい。大人は敵じゃないよ。たった1人の大人でも手を差し伸べてくれる人がいるなら掴んでいいよって。
私にとってその人は小学校の時の担任の先生だった。その人に出会えたから今の私がここにいる。
その先生は私のために全力を尽くしてくれた。今でも先生は変わらない。必死になって生徒の事を考えている。でもその先生は凄く自然に当たり前のようにそれを行っている。それが本当の教師の姿なんだと教えてもらえた。その人に出会えたから早川千晶さんにも出会え、S先生にも出会え、沢山の人に出会えた。そして助けてくれた。だから私はそんな先生になりたい。自分の事よりも必死に目の前の生徒に全力を尽くせる先生に。だから私はキベラの子どもたちも助けたい。マゴソという大切な場所を無くしたくない。大切な人たちを無くしたくない。私に出来ることはほんとに小さいかもしれない。もしかすると何も出来ないかもしれない。でもきっと私にも出来ることがある。私に今出来ることそれは今のこの状況を沢山の人に伝えること。そして沢山の人に知ってもらうこと。それが今の私に出来ること。

2016.01.10 中西匠貴

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