『マゴソスクール』の新たな挑戦として、『スペシャル・クラス(障がい児学級)』が始まった。
スラムの中といわず、ナイロビ市内でも障がい者を見る機会は少ない。
私は2010年に、知的がいのある息子(当時高等部1年)とケニアを訪れた時、「息子は学校に行っています」と紹介すると、すべてのケニア人が驚いた。
そして、「日本はいい国だ」と口をそろえて言った。
ある小学校を訪れた時には、教頭先生が、息子が濡れた靴下を脱いでいる様子を目を細めながら眺めて、「おお、靴下も脱げるのか?ケニアでは、障がいのある子どもに教育を受ける機会はなく、そのままにされてしまう。」と言った。
そして、「障がいがあっても教育をうけられる日本はいい国だ」とやはり、日本を褒めてくださった。
ケニアの人々が日本のイメージをよくした日本の障がい者教育だが、実のところ、歴史は浅い。
養護学校(現在の支援学校)の義務制の実現が、1979年 (それまでは 就学猶予とか免除といわれて 重度の障がい児は義務教育さえ受けられなかった)。
高等部希望者全入の実現が、1993年(自立通学・身辺自立・教育課程履修可能の三つの壁があって、たくさんの子どもは高等部の道が戸閉ざされていた)。
私の息子があたりまえに学校に通える今があるのは、たくさんの困難を乗り越えてきた先人のお蔭だ。
そんな日本の障がい児教育の現場が見たいというリリアンさんと、『マゴソスクール』の教頭先生オギラさんが、息子の支援学校の見学に来たのは、2012年だった。
リリアンさんは、重度の障がい児ひとりひとりを、大切に接している先生方を見て、開口一番「これは、お金をもらったからと言って出来る仕事ではありません。
この尊い仕事に、敬意を示したいと思います。」と言った。
リリアンさんの鋭い洞察力で、日々の苦労を、見ぬいたその言葉に、ねぎらわれた先生方も多かったと思う。
我が家を訪ねてくださった時にも、オギラさんは、「次に日本に来ることがあったら、次郎(私の息子)のサポートをしたい」と言ってくれた。
私が口にしない悩みを、見ぬいてくださった気がして、それだけで、どれほど、勇気づけられたかわからない。
スラムで苦労してきたリリアンさんの言葉で印象的なのが、「貧しさや、お腹が減っていることはもちろん辛い。けれど、一番辛いのは、だれからも顧みられないことです。」という言葉だ。
「子どもたちをほっとかない。」それが、『マゴソスクール』の大きな特徴だと私は思う。
だから、リリアンさんたちが、『スペシャル・クラス』を始めたことは、私にとっては、「さすが!!リリアンさん」という思いだった。
存在すら見えない、スラムのどこかに居る障がい児を、ほっとけないという思い。
最も助けを必要とする子どもをほっとかない『マゴソスクール』をますます応援しようと思った。
もしかしたら、健常児よりも経費のかかる障がい児を抱えることは、もう少し後でよいのではないか?と思う人も居るかもしれない。
その経費があれば、たくさんの子どもたちを救えるではないか?と思うかもしれない。
けれど、障がい児を抱えてきた私にわかることがある。障がい児そのものが、健常児の先生なのだ。
どんなに口で教えても、頭に叩き込もうとしても、助け合うこと、弱いものをいたわること、表現できなくとも心があることを、障がい児そのものの存在が教えてくれるからだ。
私は、障がい児は、私たちにやさしい心を思い出させるために、存在すると思っている。
何度も何度も試されながら、優しさとはなんだろう?弱いものも幸せに暮らせる社会とはどんな社会だろう?と考えてきた。
答えは出ていない。
でも、『マゴソスクール』に『スペシャル・クラス』が出来たことで、伴に、未知なる道を、また、手探りで歩んでゆく力強い仲間を得た思いでいっぱいだ。
私は、どんな素晴らしい試みも、障がい者がまるで存在しないかのような内容ならば、とても残念だと思う。
まず、最初に考えるべきは、もっとも弱い人のことであってほしい。
そんな意味からも、あっぱれな、『マゴソスクール』の新たな挑戦を、心から応援したい!
2016.2.1 白岩佳子