マゴソスクールは2007年にはじめての卒業生が出て、マゴソOBOGクラブという卒業生クラブが生まれました。
2007年のはじめての卒業生をGeneration1(ジェネレーション・ワン=G1)と名づけ、それから毎年、マゴソスクールを卒業する生徒は増え続けていきました。
2016年の卒業生は、マゴソ52名・ジュンバ8名の合計60名。Generation10となりました。
ケニアの教育制度は844(エイト・フォー・フォー)と言い、Primary School 8年間、Secondary School 4年間、University 4年間というシステムになっています。Primary School の前に幼稚園が3年間あり、マゴソスクールには、幼稚園の年少、年中、年長、プライマリースクール1年生~8年生、障がい児の特別支援学級、裁縫の職業訓練所、大工のクラスと、合計14のクラスがあります。
毎年、8年生の生徒は11月に全国統一試験(KCPE)の受験をして、その成績により進学ができる生徒は進学していきます。500点満点中、250点が「パスマーク」(合格点)と言われており、それ以上だとセカンダリースクールに進学できるということになっていますが、現実的には、もっと高得点を取っていないと、良い学校には進学できません。
また、たとえ成績が良かったとしても、学費が高く、学校の数も少ないためほとんどは地方の寄宿舎学校であり、寄宿舎に持参しなければならない様々な物品の購入や、制服、教材、体操服、交通費など、様々な費用がかかり、貧困家庭の保護者には大変厳しく高い壁になっています。
そこでマゴソスクールでは、奨学金を提供し、マゴソスクールの卒業生たちの進学を助けています。
ただ奨学金を出すだけではなく、彼らの精神面の成長も助けていくため、毎学期末にはマゴソOBOGクラブミーティングを行い、啓発的な活動を行い、家庭訪問や人生相談なども含め、保護者の相談にも乗り、様々な形で彼らのサポートを行っています。
※OBOGクラブミーティングの様子
私たちは、グループ活動で彼らの結束を強め、お互いに刺激を受け合い、切磋琢磨して、一生涯を通じて仲間としてつながっていけるように、そして、自分の後ろに続いている子どもたちや後輩たちの指導役になっていけるように、注意深くモニターして、継続的な指導をしています。
将来的には、このマゴソOBOGクラブで自立して、かつての自分たちのように厳しい状況にあるキベラスラムの子どもたちや後輩たちを、彼ら自身が支援することができるようになると思っています。
しかしそれにはまだ時間がかかり、彼らが仕事を得て社会人になり、そこから彼ら自身も自分の家庭を持ち人生を作っていきながら、振り返ったときにいかに多くの人々に支えられて自分の人生があったかを理解するようになります。
マゴソスクールの初期の卒業生たちが30代、40代、50代になってきたときに、どう展開していくかが非常に楽しみだと思っています。
そこまで歩みを進めていくまで、今しばらく手助けを必要としています。
私たちが支援をしているのは、学費のみならず、一人前の人間として成長していくための学び合い、人間作りの機会です。マゴソOBOGクラブを通じて様々な取り組みをして、夢を語り合い、共に成長していきたいと願っています。
このような活動に興味をお持ちの方で、進学資金を提供してくださる方は、「卒業生の進学支援をするには」をご覧いただき、このマゴソOBOGクラブのサポーターになって頂けるとありがたく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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■現在、大学、専門学校の進学の為に新たな支援が必要な卒業生については、以下をご覧ください。
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■現在、支援を受けて進学している卒業生については、以下をご覧ください。
- 現在、高校に通う卒業生たち
- 現在、職業訓練校に通う卒業生たち
- 現在、大学・専門学校に通う卒業生たち
- 学校を卒業して支援が終了した卒業生たち
■学校を卒業して支援が終了した卒業生たちについては、以下をご覧ください。
現在、支援を求めている卒業生たち
2020年の高校新1年生は全員支援者が見つかりました。
どうもありがとうございました。
現在高校に通う卒業生たち
高校1年生 Generation 13(2019年卒)
エスタ
2006年10月9日生
360点
Nyawara Girls Secondary School
医者
父:Eric Omondi
3年生のとき死亡。糸紬ぎと機織りのグループをやっていたエリックです。
日本でも毛糸のマフラーを販売していました。
母:Laureen Adhiambo (31)
エリックが残した部屋の家賃で生活している。
4部屋の大家。1部屋につき@3,500ksh = 月額14,000ksh の収入。
1988年生まれ。姉がメイドをしていて2002年にキベラへ。(14歳のとき)
兄弟姉妹:
1. ステーシー Starays boys 4年。学費は8000kshの支援を得て、40,000ksh は自費
2. 本人
3. オードリー マゴソ7年
4. トレーシー マゴソ2年
5. ポール 2歳(別の男性の子ども。結婚はしなかった)
同居人:
Felix Omondi 母の弟。支援者を得てKabete Technical Training Instituteに通っている
2019年のマゴソ女子で一位の成績でした。
母親に会った印象では、母親自身、小学校しか行っていないので、セカンダリースクールのことがよくわからないようでした。
夫が住居を残して死んだので、その家賃収入で生活しているため、他の組織からの奨学金を得ることは難しいです。
家賃収入が月額14000シリングあるので、(順調に支払われた場合)、支援をすることになったら準備はすべて母親が行えると思います。
準備のためには現在、20,000kshの貯金があり、このあと10,000kshはプラスで用意できると思うという返事でした。
学費のみの支援で大丈夫だろうと思います。
進学する学校は現在、先生たちが手分けして探しに行っています。
オンディエキ
2006年11月24日生
キベラ生まれ 生徒会長
2009年幼稚園年少からマゴソ
311点
Ol Kejuado High School
父: べナード
ナイロビゴルフクラブでメカニックをしている
母: ダマリス
兄弟姉妹:
1. エルフィン セコ大学1年
2. ドルカス F3 エンブの学校
3. 本人
4. Victor マゴソ2年生
とても積極的な性格で、明るく、しっかりしている生徒。
父親がナイロビゴルフクラブで働いているということで、安定した仕事があるため、家庭状況は最悪ではありませんが、
彼が幼稚園年少からマゴソにいたということ、生徒会長だったということ、そして彼の性格を考えると、
学費支援をしてマゴソOBOGクラブで活動してくれたら、他の生徒のためにも力になってくれるるのではないかと期待しています。
ブライアン
2005年8月11日生まれ
305点
エンジニア
Ol Kejuado High School
父 Michael Oduor 七輪の職人だった。ブライアンが3年生のときに交通事故で死亡
母 Emily Atieno(35) 小学校は6年生までしかいっていない。2000年にキベラに来た。
朝はマンダジ、夜はサモサを作って売る。一日の収入は、マンダジ 100~130シリング
サモサ 140シリング
毎日、朝6時から、夜7時まで働いている。
子どもたちは全員、キベラ生まれ
1. Mary Akinyi (16) F3 day School に行っている。田舎の姉が支払っている
2. 本人 マゴソには7年生と8年生
3. Mercy 6年生 母親の友達が学費を支払ってくれている。Hope community
. Meshak 4年生 カトリック教会の支援を受けて、Catholic Brothers という学校に行っていたが、小3までしかサポートがされないので、4年はどうしようかこまっている、マゴソに来させたい。
交通費がないので田舎には2017年以来いっていない。
最初に電話をしたところ、母親が出て、母親は「ブライアンが学校に行けようが行けまいが、自分には関係ない。お金がないから。」という返事だったが
入学のための準備はとてもがんばってくれた。
しかし制服代を全額捻出できなかったので学費と備品の支援を行います。
ジェニファー
2004年6月27日生
293点
Kiteta Secondary School
父: ミルトン
日雇い。しかし何年も前に母と離婚
母: ジャクリン
昔はメイドをしていた、現在はエジプトに出稼ぎ。
2018.11より。掃除府として月にUS$200の給料。
父の第二夫人:Diana Wangoi
ただしジェニファーは第二夫人だとは知らない。母方の叔母だと思っている。
子ども1人 Pope Francis 3歳
父がジェニファーと姉をこの人の家に置いていった。
その後、この女性も父と離婚。ジェニファーたちは、父の妹の家へ引き取られる。
叔母(父の妹): Sarah Awino 24歳
チャパティを焼いている。高校3年の時に中退している。
4歳の子どもが1人
父の弟:Seth Odhiambo
2018年高校卒業
父の兄:Philemon Tony
ケニヤッタ病院の掃除人
家賃4500kshの家に住んでいたが家賃が払えないので、家賃2500kshの家に先日引っ越したばかり。
この父の妹が面談に。そして電話でエジプトにいる母とも話をしました。
1. 姉 シェイラ キベラの通い高校3年生
2. 本人
3. 弟:サムソン ジュンバラワトト7年(マゴソで1年~4年、ジュンバラワトトに5年生から。)
9歳のときにキベラへ。3年生からマゴソに通っています。
彼女の家庭はとても複雑で、まずは父は家庭をかえりみずに離婚しました。
別の女性(第二夫人)がキベラに出来て子どもも1人いますが、ジェニファー自身は父の妻だとは知らず、そこに連れていかれて叔母と言われて一緒に住んでいたようです。
母は以前も住み込みメイドをしていたので、子どもたちはいろんな場所を転々としていました。
父は出ていってしまい、その後何年も会っていないそうです。
2人目の妻と子供のことも父はめんどうみていません。
父の妹のサラが同情して一緒に住み始め、母はエジプトに出稼ぎに行き送金をしてくれています。
サラは高校3年の時に妊娠のため高校を中退しシングルマザーとして子どもを1人育てています。
母も月給がUS$200しかないので、送金しても足りません。
サラとジェニファーの関係は良好なようです。
母親も送金努力をしているので、学費支援ができれば必要な道具の買い物はできるのではないかと思います。
ビンセント
2005年6月6日生
291点
父 10年前に離婚
母 Lilian Achieng (37)
髪結いをしている。1日あたり200~300シリングの収入
オロディ先生の亡くなった妻のいとこ(母親同士が姉妹)
1. Nickson(20) 高校を2年で中退してブシアに住んでいる。今は何もしていない
2. 本人 4年生からマゴソスクールに通う
3. Shila マゴソスクール5年生
オロディ先生の亡くなった奥さんの妹の子ども。
しかしオロディ先生の一族は、全員がとても困窮しており大変貧しく、オロディ先生が多くの子どもの世話をしている。
オロディ先生の住まいはキベラではなく、キベラからだいぶ遠い場所にある別のスラムで、そこから子どもたちは全員、マゴソに通っている。
このビンセントもオロディ先生が一緒に暮らして世話をしている。
オロディ先生は奥さんが亡くなってから、シングルファザーで子どもを育てている。
オロディ先生は昨年Form1だった息子も学費を払うことが出来ず支援生徒に入ったので、今回のビンセントも助けることが出来ない。
メトリン
2004年5月17日生(ナイロビ生まれ)
288点
Kiteta Girs Secondary School
医者
父:Harun Kegondi (48)
日雇い 不定期にしか仕事がない。一度仕事があれば1日800-1000ksh。最後に仕事があったのは11月。
ナンディサウス出身、1972生まれ、1994年にキベラへ。
母:Caroline Kengoi (40)
ナイロビウェストで洗濯 1日500シリング、週2~3日往復徒歩で通勤している。
2018年5月以来、田舎には帰れていない。家賃は3000ksh
兄弟姉妹:
1. Mercy 17歳キベラのデイスクール3年生
2. 本人
3. Wellington 12歳 ジュンバラワトト7年生
4. Phanuwel 10歳 マゴソ4年
5. Fibian 7歳 マゴソ3年
6. Japhet 6歳 マゴソ1年
マゴソスクールのそばのとても小さな部屋に住んでいます。
最近引っ越したところでその前は強制撤去エリアに住んでいましたが、強制撤去が進んでいるので引っ越しました。
とても子供の数が多いが貧しく家も狭いので生活が大変です。両親とも仕事は不定期で収入は不安定ですが両親とも協力的で、出来るだけのことをしようとしています。
1月までにいくら集められるか努力して、足りない分を支援してあげたいと思っています。
チャリティ
2004年2月5日生
273点
Kiteta Girls Secondary School
サッカー選手
父: Jesphat (40) 日雇い
母:Josephine (38) 無職で妊娠中
兄弟姉妹:
1. 双子の姉 Anastasia メルー女子高校2年
2. 本人
3. Irene 小学校3年生
マクエニ生まれ 2010年にキベラへ。5年生からマゴソスクールへ。
家がキベラの中でもとても遠い場所にあり、住居の状態は非常に悪い。
家賃は2500ksh+電気代300ksh。
母親はしっかりしていて子どもとも関係が良さそう。しかし家計はとても貧しい。父親には不定期にしか収入がない。
1月までに10,000ksh 用意できるようにがんばると言っている。
アブドゥバ
2003年生
昨年のKCPEで234点、リピートして今年254点
Isinya Boys Secondary School
パイロット
父:Abduba Jarso (46)
1973生まれ 学校はまったく行っていない ボラナ族
母:Halima (38)
主婦 学校はまったく行っていない がブラ族
父はエチオピア国境周辺のモヤレ出身。1997年にキベラへ。キベラには誰も知る者はいなかったが、生きる道を求めてきた。(故郷で襲撃にあったので、家畜はすべて失った)
1997年以来、田舎には一度も帰っていない。子どもたちは一度も行ったことがない。
父は警備員。父親がいなかったうえに子どもが11人いたので非常に貧しかった。
警備員の仕事には、午後2時にキベラ出発、午後5時半到着、翌朝6時半までの仕事で、また3時間半かけて歩いてキベラに帰る。キベラ到着は午前10時。往復徒歩7時間。月給は9500シリング。
兄弟姉妹:
1. 本人
2. Fatma マゴソ8年生
3. Asha マゴソ6年生
4. Zainabu マゴソ3年生
この民族は非常に僻地の民族で、エチオピアの国境とソマリアの国境付近に居住し、非常に生活困難エリアであり、また、教育的にも非常に立ち遅れたエリアの出身です。
そのため、両親とも小学校に行ったことはなく、親族の中でも学校に行ったことがある人はいません。
昨年から今年にかけてリピートして20点あがったので、まだ向上する可能性があると思います。
田舎も開発可能なエリアではなく、田舎に帰っても生きられる可能性はないので、子どもが教育を受けることだけが一家の希望になると思います。
エルフリダ
2004年5月3日生(ナイロビ生まれ)
Magoso Family としてマゴソスクールで暮らすことになりました。
246点
Elite Visionary Secondary School
ジャーナリスト
父:タイタ族
昔いなくなり、ほとんど戻ってこない
母;ルヒヤ族
1983年生まれの26歳。学校は7年生の時に中退。14歳のときメイドをするためにナイロビにきて、夫に出会う。夫は警備員をしていた。
部族が違う夫の田舎には行ったことがない。
子どもを6人産んだが、夫はほとんど家の世話はしない。ときどき、お腹がすいたときだけ帰ってきてごはんを食べていく。お金は出さない。
叔母:キベラ在住 アル中
兄弟姉妹:
1. 兄 アルバイ 高校行けず 無職
2. 兄 バイロン 高校行けず 無職 マゴソ卒業生 KCPE302
3. 本人
4. 妹 シルビア マゴソ5年生で退学、田舎へ
5. 弟 ファントン マゴソ4年生で退学、田舎へ
6. 弟 ヘンリー マゴソ1年生で退学、田舎へ
子ども6人と母とでキベラに住んでいたが、父の援助がなく、非常に困窮したため、下の3人を連れて母は田舎に帰り、本人と、若い兄2人がキベラに残された。
約1年、母不在の状態で子ども3人だけで生活しています。
母親が、生活苦から、キベラと田舎を行ったり来たりするため、エルフリダもキベラで生まれたが、祖母在住のときは田舎に返され、6年生までを田舎の学校に行きました。
田舎はとても貧しい村で田舎の学校では、子どもたちが教室で待っていても、先生が来ないので、ほとんど授業は行われていなかったようです。(田舎の先生はやる気がありません)
そのため、勉強は遅れ、7年生でマゴソに来たときには、授業にまったくついていけず8年生まで続いて苦労していました。
兄2人ともマゴソ卒で非常に良い成績をとった(上の兄は302点)けれども、支援枠に入れず、いまだに高校に行っていない(2015卒業)
上の兄2人とも優秀でも高校には行けず、ブラブラしています。
彼女たちが住んでいるエリアは、酔っ払いと麻薬中毒が多くキベラでも環境が悪いエリアです。
高校に行くチャンスがあるといいが、KCPEが246と点数が低かったこと、それにより寄宿舎学校は無理です。それでも彼女の状況において246取ったのは非常に努力したと思います。
ただ、成績はこれ以上のびるかどうかはやってみないとわからないですが、まだ年若いので、伸びる可能性はあると思います。
兄たちが成績優秀だったのに高校に行けていないことは非常に残念なことだと思います。このままにしておくと、6人の子ども全員そうなる可能性があります。
下の3人の子どもは、母親が田舎に連れて帰るので、マゴソを退学しました。田舎で小学校に行くと、この母親の家庭事情では高校はいけないだろうと思います。
そうなると、エルフリダのみが今後高校に行ける可能性がある唯一の子どもになり
家族の中で一人だけでも高校に行ける子が出ると、将来的にその家族が救われる可能性が高くなるので、行かせてあげたいと思います。
イボンヌ
270点
Elite Visionary Secondary School
完全孤児で、警察によりジュンバに連れてこられた。叔父がミリティーニにいるが貧困者。今年のジュンバの卒業生7名の中で一番良い点を取ったことと、完全孤児で助けがないことで、支援してあげたいが、もともと警察により連れてこられた子どもということで、通常は、8年生が終わったら警察を通じて親族のもとに返される。
なので、ジュンバを卒業していったん、叔父の家に帰っている。
べバリン
2005年4月15日生(キベラ生まれ)
264点
Kiteta Girls secondary School
父: Haron(44)
アル中で暴力、家計は助けない。学校は8年生まで。
母: Violet Angaya (42)
学校は2年生まで。1999年にキベラへ。洗濯婦をしていた。ブテレ出身。
現在は週1~2回、1回につき300シリングの洗濯の仕事をしている。
兄弟姉妹:
1. 本人 マゴソは1年生から。3年生からジュンバラワトト
2. ウィルキスタ ジュンバラワトト8年生
3. セレスティン マゴソ6年生
4. フランクリン マゴソ3年生
5. ジェイデン 3歳
子どもたちは全員がキベラ生まれ
マゴソスクールに1年生から通い3年生からはジュンバラワトトで暮らしました。
べバリンの場合、高校に行く手続きをする以前の問題として、まずは、この家庭の父親のDV問題を先に対応しなければ、たとえ高校に行ったとしても、休みで帰ってくる場所では父親が常にDVをして安定していないと、高校生にも必ず問題が出ます。
父親は常に酒を飲み、家族全員に暴力をふるい、夜中に追い出し、真夜中に母親と子供が徘徊を繰り返している状態です。
それに対して私は母親に、そのような父親をそのままにしているから子どもたちが暴力を受け続けるわけで、なぜ子供を連れて出て行かないのか、子どもを守るためになぜ警察に行かないのかと言いました。
すると、母親が言うには、「出ていくのは難しい。なぜならば、ここにいれば近所の人たちを知っているから、暴力を受けて夜に家を出されても周りの人に助けてもらえる。誰も知らないところに行ったら、助けてもらえない。」と
そこで、べバリンに、母親が何とかする意志がないのだから、あなたが自分で児童相談所に助けを求めに行かねばならないと言いました。
なぜならばこのようなDVのケースの場合は先生方は介入できず、子ども本人が児童相談所に自分の力で行き、自分の言葉で説明をして助けを求めなければなりません。
そうすれば、そこから警察に指示がいき、父親のDVに関しての調査がされ、DVが確認されれば逮捕命令が出ます。
そして子供は、安全な場所に児童相談所が移送される。
というのが通常の方式で、それをべバリンに説明し、翌日彼女は児童相談所に行きました。
現在、児童相談所が調査中で、そこから警察に照会されるにはもう少し時間がかかるとのことでした。
彼女の場合は、よく監督できる状況に置かねば、高校に入ってもすぐに妊娠するか、家庭状況も悪すぎるので勉強にも集中が出来ず成績も伸びない可能性が高いと思われます。
しかし、あまりにも状況が悲惨なので、支援をするべきというのが先生方全員一致の意見でした。
この生徒を支援するならば、卒業まで順調に行けず、留年や、妊娠、成績のドロップなどの可能性があることを承知の上で支援しなければならないと思われます。
それを承知で支援してくださる支援者の方がいらっしゃれば、支援するという形にしたいと思います。
追記;
その後、児童相談所と警察に何度も行き、本人も父の虐待を証言し、母親も行った。
しかし児童相談所も警察も現在に至るまで何もしれてくれていない。
オコチャ
2002年9月1日生まれ
マゴソ元生徒会副会長
160点
Elite Visionary Secondary School
ケミカルエンジニア
父 David Lusaswa (47) エルドレッド出身 学校は8年生まで。
母 Josephine (40)
子どもたちは全員がキベラ生まれ
1. Okocha 2年からマゴソ
2. Susan 2年からマゴソ
3. Sharon マゴソ8年生
4. Bravin マゴソ7年生
5. Karen(2歳)
非常に点数が悪かったですが、なぜ支援をしたいかというと、このオコチャは休みの間も毎日マゴソスクールに来ていました。給食を手伝ったりして、毎日ずっとマゴソスクールに来ており、OBOGミーティングにも参加。点数が低かったので支援は出来ないと言っても、ずっと熱心に来続けて、マゴソスクールに対してやる気がある。
また、成績が悪いのにマゴソスクールの生徒会副会長であった。(ゴリが会長)
それは生徒からの投票によって決まった。(生徒からの信頼が厚い)
オコチャはいつもマゴソにいて、マゴソだけが人生の救いのようである。
父はもともとタウンの清掃会社で働いていた。(月給7000ksh)
その際に仕事でカレンに行った際、旅行会社の清掃をして、就職しないかと誘われた。
そこで、転職した。(月給15000ksh)=仕事内容はメッセンジャー(書類を届ける係)
ところが、3カ月の試用期間が終わってからあと、正式な就職をさせてもらっていない。
給料も、もらえたりもらえなかったりになった。
数カ月前から給料をもらえていない。特に先月からは仕事に来なくてもいいと言われた。
オコチャは体の具合が悪い。(おそらくアトピー)
目、耳、足、胃が悪い。胃潰瘍でギゼリを食べることは出来ないので、マゴソにいる間も給食を食べることが出来なかった。(毎日、昼食抜きで過ごした)
目と耳は、具合が悪くなると、見えなくなり、聞こえづらくなる。足が腫れあがる。
スーザン
(オコチャンの妹)
231点
Elite Visionary Secondary School
ジャーナリスト
父 David Lusaswa (47) エルドレッド出身 学校は8年生まで。
母 Josephine (40)
子どもたちは全員がキベラ生まれ
1. Okocha 2年からマゴソ
2. Susan 2年からマゴソ
3. Sharon マゴソ8年生
4. Bravin マゴソ7年生
5. Karen(2歳)
父はもともとタウンの清掃会社で働いていた。(月給7000ksh)
その際に仕事でカレンに行った際、旅行会社の清掃をして、就職しないかと誘われた。
そこで、転職した。(月給15000ksh)=仕事内容はメッセンジャー(書類を届ける係)
ところが、3カ月の試用期間が終わってからあと、正式な就職をさせてもらっていない。
給料も、もらえたりもらえなかったりになった。
数カ月前から給料をもらえていない。特に先月からは仕事に来なくてもいいと言われた。
Form2(高校2年生) Generation 12(2018年卒)
エドウィン
Ol Kejuado High School
ウガンダとの国境の村で生まれた。9人兄弟の3番目。上の2人は小学校卒。
マゴソ8年生の時、ヘッドボーイ(生徒会長)を勤めていて成績も優秀で、男子校の中でもレベルの高いOl Kejuado High Schoolに入学。
母親は田舎から出たことはなく、父が出稼ぎで15年前からキベラに来ていた。
父はインド人の経営している飲食店でシェフとして働いていたが、エドウィンを学校に入れたくて、2014年にキベラによんで、2016年マゴソスクール6年に入る。
けれど2018年秋にインド人の店が倒産し、父親は失業してしまい、現在田舎に戻っている。10年くらい前にエドウィンの父方従兄弟が孤児になった時、2006年からキベラでエドウィンの父親が世話をして学校にもいかせてあげたりなど、助けられたということもあって、その従兄弟がキベラで日雇いの仕事をして自分の家族を養いながらも、エドウィンの保護者になり、学校の休暇にはそこに帰省させてくれる。
父親はエドウィンをセカンダリーに入れたくて、貯金をはたき借金してお金をかき集めて、田舎から出てきてエドウィンの入学に必要な物も全部そろえた。エドウィンをセカンダリーに入れるために一生懸命頑張った。
アシュリー
2003年9月1日生
323点
Kiteta Girls Secondary School
2003年9月1日生れ、ミゴリ生まれ。
2011年にマゴソスクールへ(1年生)、2017年からジュンバ・ラ・ワトトで暮らす(7年生から)
5人兄弟姉妹の二番目
両親とも健在だが、両親ともアルコール中毒。
父は日雇い、母はチャパティを焼いて売っている。
母は1985年生まれで、5年生までタンザニアで学校に行っていたがその後、中退。2001年にキベラスラムへやってきた。
そして父はカワングワレ(別のスラム)にもう一人奥さんが居て、そこに子供が2人いる。キベラにはほとんど帰ってこない(音信不通)。
母親は貧しいが出来るだけの事をしようとしており、必要な物品もいくつか購入(毛布、箱バケツなど)。
二学期からは学費のみの支援の予定。
(2019年1月現在)
1.John
マゴソに通っていたが2015年に家出をして浮浪児になった。
その後家に戻ってきてOlympic Primaryに入り、2018年に卒業。KCPE245点
2.本人
3.Michelle Awino
Olympic Primary5年生
4.Natalia Awuor
マゴソ2年生
5.David Bekam
マゴソ幼稚園年中
ギグス
2004年2月15日生
350点(マゴソトップ成績)
Ol Kejuado High School
父母は7年前に離婚、父は所在不明(音信不通)
シングルマザーの母は建築現場で日雇いの仕事をしている。1日当たり350kshの日雇いで、チャイナセンターで4カ月の仕事をしたが現場監督にその賃金(4か月分)を持ち逃げされ、クリスマスには食べ物もなかった状態であった。
KCPEはマゴソトップの350点
二学期目からは交通費と買い物は自分で払うので
学費のみの支援の予定
(2019年1月現在)
1.Linda
Dayschoolに通っている。現在Form4。成績優秀で、学校から奨学金を得ている。
2.本人
3.Nina
マゴソスクールの3年生
オタノ
2001年8月24日生
300点
Ol Kejuado High School
父親は13年前に失踪してそれ以来会っていない。何処に居るかもわからない。
母親は2007年にキベラへ。学校は8年生までしか行っていない。現在40歳。
現在は家政婦の仕事をしているが、その仕事は12月20日までの契約の仕事。
お金はなく、もともと借金があるが、さらに追加で借金をして学校に必要な物品をできるだけ用意した。
二学期からは学費のみの支援の予定。
家はマゴソのすぐそばで、リリアンとオギラが最も貧しい家庭という事で推薦。
(2019年1月現在)
1.Lavine
女の子20歳。Form2まではキベラのDay Schoolに行ったが、その後学費が無く中退。
2.本人
3.Deliwinta Aluda 男の子 7年生
レベッカ
2004年2月15日生
290点
Elite Visionaru High School
外科医
モンバサ近くのキナンゴ村の出身
両親ともに健在であるが、貧しく仕事はしていない。
叔父(イブラヒム・マチュパ)がマテラさんのチームのダンサーをしており、
叔父からリリアンにレベッカにチャンスをあげて欲しいと強い依頼があり2014年よりマゴソスクールで生活を始める。
他の兄弟姉妹8人の学費は全部叔父が払っている。
(2019年1月現在)
1.ポール 専門学校
2.アリ Form4
3.ジョイス Form3
4.エリーナ Form2
5.本人
6.シャバニ 6年生
7.ミリアム 4年生
8.カガメ 2年生
9.グレース 幼稚園
カロリン
Kiteta Girls Secondary School
母親が2008年に亡くなって、父親が2011年に再婚した。実の兄弟が5人、継母の連れ子が2人、本人は7人兄弟の3番目。
父親は庭師で月収8500ksh。5年の契約で、あと2年でそれも切れるが、遠い職場まで歩いて通っていて、高齢なのでこれ以上続けられないと思う。
父親は1982年にキベラにきて、両親が死んだため、小学校5年までしか行けなかった。自分が学校に行けなかったので、子ども達には学校に行かせたいと思っている。継母は小学校6年までしか行けなかった。今は洗濯の仕事をしている。
カロリンの一番上の姉はキベラのデイスクールの高校2年までいったが、ドロップアウトした。次の姉は成績が悪く進学できず田舎にいる。すぐ下の妹は8年生だがKCEP試験で250点しかとれず進学できなかった。下の3人の妹弟は小学生で田舎にいる。
Form3(高校3年生) Generation 12(2017年卒)
テディ
2001年2月13日生
304点
Ol Kejuado High School
2018年 100,788ksh
農業者
農業クラブ
父は会社員だったが2005年に大怪我をしてそれがもとで2006年8月1日に死亡した。
母はキタレ出身、貧困のため6年生でドロップアウトし田舎の畑の日雇い仕事をしていたが、仕事を求めて1996年にキベラに出て来てそのご結婚。
夫が死亡してから6人の子供のシングルマザー。とても貧しい。
キベラのソウエト地区と言う最も貧しい地区に住んでいる。そこで毎日サモサを作って売っている。
1日の利益は大体150~200シリング。家賃は2,000シリング。
テディの父親が死んでから夫の兄が助けてくれていたが、その人も2010年に死亡。それから助けてくれる人はいない。
テディは幼稚園から3年生までマゴソで学び、4年生からジュンバ・ラ・ワトトに移動。
キベラに帰ってくると母親を助け、妹や弟の世話をよくして先生からの評価が高い。
テディ以外の子供たちも全員マゴソスクールに通っている。
デイビット
2001年生
292点
Masii Boys High School
2018年 100,735ksh
電気技師
赤十字クラブ
父2002年、母2003年に死亡。
母親はママアギーの姉。日本に留学しているアグネスのいとこにあたり、1歳の時にママアギーに引き取られ兄弟姉妹として暮らしてきた。
ママアギーはマゴソの給食担当として働いているが、アグネスが長女で子供は6名。しかし孤児の子供を5名引き取っており合計11名が兄弟姉妹として一緒に暮らしてきた。
マゴソスクールの長屋2部屋で全員が暮らしている。
ママアギーの夫は生きているが全くお金を家に入れない。
なので、ママアギーがマゴソで得る給料で全てを賄っている。
デイビットは4年生までマゴソスクールに通い、5年生からジュンバ・ラ・ワトトに行く。
最初のKCPEで237点だったが本人が高校へ行きたいからリピートさせてほしいと希望し、マゴソでリピートして292点を取った。
デイビットの本当の兄姉は3名いて、その全員が高校へ行った事がない。デイビットは末っ子。
ムリ
2001年生
264点
Kyanda Secondary School
2018年 102,910ksh
弁護士
サッカー
マゴソファミリーのメンバーでキトウイ出身のカンバ族。
父親はナイロビに出稼ぎに来ていたが失職して田舎に戻った
(マゴソスクールの増築時に手伝ってくれた大工だった)
ムリはナイロビでメイドとして働いている叔母によってマゴソスクールに連れてこられ4年生に編入。
それからマゴソファミリーとして生活。
両親とも無職で田舎で畑をしているが、カンバ族の田舎がそもそも干ばつが酷くて畑が出来ず食料にも事欠く状況。
メイドとっして働いている叔母は、イーシリーという地区で働いているとの事で、そこは貧しい地区なので収入は生活するにギリギリのレベルだと思われる。
チョメ
2003年1月23日生
325点
Ol Kejuado High School
2018年 121,098ksh
チョニ族の出身(マゴソで初めてのチョニ族の子)
両親はキリフィーの村に住んでいる貧農で、両親とも全く学校に行った事がない。
8人兄弟姉妹の6番目。
長男が8年生を終えてからマアリアカーニというモンバサ近郊の町に出稼ぎにきた。そこで日雇いの仕事をしている。
兄はチョメが1年生になるときに村から連れて来て、自分の下で生活させながらマリアカーニの小学校に入れた。
しかし、兄とチョメの2人暮らしでとても生活状態が悪く、それを見かねた地域の牧師が、チョメをジュンバ・ラ・ワトトに連れてきた。
ジュンバ・ラ・ワトトには4年生に編入し、2013年から2017年まで生活した。
兄姉のうち2歳上の姉ナタシャだけが兄に学費を払ってもらい高校に入学したが、学費が続かず2年生で中退。
その後、ナタシャは仕立て屋の職業訓練を受けようとしたが、これも学費が続かず断念。
チョメはとても真面目で、性格も良く、働き者で成績も良い。
Form4(高校4年生) Generation 10(2016年卒)
サム
2002年8月6日生
263点
Kyanda Secondary School
2017年 73,764ksh
2018年 91,902ksh
野生生物と観光業に興味有
建築家
サッカー
ディベートクラブ
マゴソファミリーの生徒。
生れたのは西ケニアのニャッカチ。
母は2004年に病死。その後祖父母のもとで育つ。祖父母共に貧農。
2013年に父親が亡くなり、その葬式の場でリリアンと出会いマゴソスクールに連れ帰ってきた。
2013年12月にマゴソスクールに到着し2014年に6年生になる。
田舎ではほとんど学校に行けず、マゴソ6年生になってから非常に頑張って勉強をし努力の結果としてKCPE263点を取る。
当初キベラのDay SchoolのEliteに入学手続きをして通い始めたところ、1月20日になって突然奨学金がおりたという連絡が入り急遽寄宿舎学校のKyanda Secondary Schoolに入学を変更。
奨学金は学費の全額と言われているが、成績が下がったら容赦なく打ち切られる。
学費以外の費用は支援が必要。
ムリロ
2000年10月9日生
(正しい生年月日ではない。数年年上と思われる)
377点(マゴソトップ成績)
Butere Boys High School
2017年 57,633ksh
2018年 76,373ksh
大学教授(理系専攻希望)
医者
サッカー
2016年度のマゴソスクール生徒会長。
生れはBusiaの村。Busiaはウガンダと国境を接している地域で村の中にはケニア人とウガンダ人が一緒になっている。
父は学校は7年生で親を亡くして中退。おじさんを頼って1989年にキベラへ出稼ぎに来た。
母はムリロが3歳程度の時にムリロを連れてウガンダへ。ムリロの上の姉2名は父のもとに残る。
ムリロはその義父と母のもとでウガンダで小学7年生まで学校へ行くがその後病気になる。
病気になったムリロを助けるため、母から父の元へ連絡が来て、父はウガンダまでムリロを迎えに行った。
キベラに来たムリロは2014年8月にマゴソスクール6年生に編入
父は再婚していて、そのムリロの義母には4人の子供が生まれていた。その為全部で7人の子供たち。
義母は5番目の弟と共に田舎で暮らしている。
子供たちの学費生活費の全てを父親が賄っているが、父親の勤務先はナイロビの下町にある家具屋(インド人経営)で、月給14,000ksh。
会社名はVickey Enterprises。
月給は安いがインド人の経営者が良い人で、ローンを出してくれる。そのローンによって姉の大学と高校を支払っている。
ムリロは成績優秀で、全国的にも優秀なレベルの国立学校
(Butere Boys High School)に合格。
(2017年1月現在)
1.姉 ウガンダのマケレレ大学1年生、自費。
2.姉 Form3 田舎の学校、自費
3.本人
4.弟 キベラの公立学校4年生
5.弟 田舎で母のもとで生活 3年生
6.妹 キベラの公立学校2年生
7.弟 幼稚園
ハリマ
2001年4月24日生
271点
Kaani Lions Secondary School
2017年 80,329ksh
2018年 65,085ksh
医者
観光業
バスケット
キベラスラムのライニサバ在住。父Molu Haro Diba 1973年生。
ケニアでも非常に困難な僻地であるNorth Eastern出身のボラナ族(イスラム教徒)。
干ばつ地帯で、しかもソマリアからの盗賊団が地元の家畜を襲うことで有名。さらにテロリスト潜伏地域でもある。
父は8年生まで学校へ行ったが、牛などの家畜は全て干ばつで死に、ハリマの祖父がナイロビに出て来て警備員の仕事をするようになった。
父も1996年にナイロビへ出稼ぎに、祖父の仕事を引継ぎ警備員。KK Securityという警備会社の正社員。
月給は27,000kshだが様々な天引きをされ手取りは8,800ksh。
天引きが多い理由には会社からローンを借りて、長男(Form3)と次男(Form4)の学費の支払いをしているからで、この2名はキベラのDay Schoolに行っている。
このローンの返済は2019年まで続く母Amina年齢不詳、日雇いで掃除の仕事をしている。
マゴソには弟2名(双子)が5年生に居る。
ハリマは2014年に7年生からマゴソスクールへ来る。KCPEは2回目の受験。
父親が詐欺に合い、誰かにサインを偽造されて借金を背負わされ、この1年間(2016年)家には全く食料も無い状態で極貧。
シャロンアデンバ
2000年2月1日生
350点
Ol Kejuado High School
2017年 80,329ksh
2018年 76,035ksh
医者
父と母ともに2007年に死亡。叔母(母の姉)に引き取られた。
叔母はその後結婚するも、1994年に夫が死亡。
2006年にキベラに出稼ぎに、路上で魚を売っている。
娘が一人いてその娘に子供が2名。2名ともマゴソ(3年生と幼稚園)
娘は22歳でForm4を卒業して通いの家政婦をして働いている。
シャロンの母が死に、叔母が全ての子供(8名)を引き取った。
下記兄弟姉妹の内6~8は田舎で叔母の亡父の母が面倒を見ている。
1~5と、叔母・叔母の娘、孫2名計9名がキベラの長屋の一室で生活している。家賃は1か月2,500ksh。
この生活状況でさらに高額の借金を抱えている。
叔母はフリーダさん(キベラスラムの助産婦さん)の前で魚を売っており、しっかり者でとても協力的。
(2017年1月現在)
1.兄 Form4
2.兄 大学2年
3.兄 Form3 キベラのDay School
4.兄 Form2 キベラのDay School
5.本人
6.妹 1年生
7.妹 1年生
8.妹 1年生
メルダ
256点
Kyanda Secondary School
2017年 94,344ksh
2018年 111,945ksh
メルダの田舎はメルーとイシオロの間の非常に貧しい村で、そこに母親が住んでいる。
キベラには叔母が住んでいて、その叔母のもとに身を寄せてマゴソスクールへ通っていた。
KCPE受験が終わってからすぐに叔母はメルダを家から追い出して田舎へ帰した。
メルダは7年生の時に叔母と母親に付き添われてマゴソスクールへやってきた。
モーゼス
2002年7月10日生
292点
Kyanda Secondary School
2018年 53,200ksh
2018年 70,205ksh
医者
父親は靴の修理屋。週に2回ほど仕事が入る程度。
1ペア50シリングの利益。
母親はキベラで古着売り。服を1枚売るたびに5シリングの利益。
2000年にキベラに出稼ぎに。母親は小学校4年生で中退。
キベラで4人の子供たちと孤児1名を引き取って暮らしている。
(2017年1月現在)
1. 本人
2. マゴソ8年生
3. マゴソ6年生
4. 赤ちゃん
5. 孤児でマゴソ2年生
現在、職業訓練校に通う卒業生たち
エスタ
G13
189点
父:アカラマン
アカラマンは通称で、本当の名前はムワンジ。古タイヤのサンダル(アカラ)を作る職人。
家は強制撤去され、引越し支援したがその後病気に。家賃が払えず追い出され、撤去された場所に拾ってきたトタンで小屋を建てた。ドアは無い。
(2020年1月現在)
1. 本人
2. マーガレット(ジュンバラワトト7年生)
3. フランシス(ジュンバラワトト7年生)
4. ゼティタ(ジュンバラワトト5年生)
子どもたちに母はいない。父は病気で極貧。子どもたちは保護してモンバサにある施設ジュンバラワトトで暮らしている。
8年生を卒業したエスタは施設は卒業のため、新学期になっても施設には戻れません。
ドアもないキベラスラムの家は年頃の女の子には危険すぎる状況です。
幼少期からあまりにも過酷な状況だった子どもたちは受験で点数が取れない子が多いので職業訓練の道を探します。
現在、大学・専門学校に通う卒業生たち
ジョン・キテカ
1998年生(G5)
Ol Kejuado High School
2012年度 F1
2013年度 F2
2014年度 F3
【OBOGクラブ 会計担当】
2015年度 F4 卒業
【OBOGクラブ 秘書担当】
KCSE: C
Elite Visionary High SchoolでF4をリピート
2016年度 F4 卒業
KCSE: B+
Moi University(国立)
Finance and Satisfied Public Account学部
2017年度 一回生
2018年度 二回生
2019年度 三回生
高校教員(理数科教師)
Form4卒業後マゴソでボランティアスタッフとして働く。
図書室とアートクラブを担当。(大学の休み中)
2012年 100,683ksh
2013年 70,386ksh
2014年 15,957ksh
2015年 63,269ksh
2016年 66,251ksh
2017年 135,087ksh
2018年 181,604ksh
母親が末の妹だけを連れて家出。
あとに残されたジョンと弟のパトリックは学校をドロップアウトしてごみ捨て場で屑拾いをして鉄くずなどを売り食料を得ていた。
父親が暴力を振るいひどい目にあっていた。
ジョンが小4の時にリリアンがレスキューして最初はマゴソに来て、そこからジュンバ・ラ・ワトトで暮らす。
2015年度でForm4を卒業。マゴソを出て自立し、弟のパトリックと家賃1,000kshの家で共同生活。
弟のパトリックは成績が振るわず高校進学が出来なかった。
パトリックは手作業が好きなのでキベラのジュアカリのメカニックに弟子入りして、ただ働きで学んだ。
その後フルーツスタンドに就職し1日250kshを稼ぐ。
ジョンの夢はエンジニアになる事だが、KCSEがCでは、国からの奨学金が得られない為、Form4をリピートして再受験のチャンスを欲しいと懇願し、
Elite Visionary High SchoolでF4をリピート。
KCSEでB+を取り、Moi大学(工学部)の入学許可がおりた。
しかし入学直前に変更の通知が有り、モイ国立大学エルドレッド
キャンパスのソーシャルワークとコミュニティ開発学部に変更。
2017年後期在学中に学部の変更を国から指示され、Financeand Satisfied Public Account学部に変更となる。
1年目の学費は自費、2年目からは国費のローンを申請。
2年目から国のローンが支給された。
母親の生活費と小さな弟妹の学費をジョンがマゴソで働いたお金で払っている。
パトリックはかねてからの希望であった自動車修理の学校へ行く事になった(2016年12月)
2018年9月、パトリックが自動車整備会社に見習いとして就職しました。
ジョンは2017年月以降マゴソのアシスタント・ティーチャーとして理数科を担当。(大学が休みの間)
ジュンバ
1998年生(G5)
Ol Kejuado High School
2012年度 F1
2013年度 F2
2014年度 F3
2015年度 F4 卒業
KCSE: B+
Moi University(国立)
農学部
2016年度 一回生
2017年度 二回生
2018年度 三回生
2019年度 四回生
大学院へ行って自分の好きなエンジニアのコースで勉強したい。
大学の先生になって、いつか日本で学びたい。
大学入学後休暇中マゴソボランティアスタッフとして働く。
2012年 77,654ksh
2013年 47,627ksh
2014年 0
2015年 49,524ksh
2016年 48,350ksh
2017年 41,775ksh
2018年 0
2019年 22,305ksh
両親は共働き。
ジュンバは期待通り非常に好成績で、国からの奨学金で国立
大学へ行ける。
マゴソでボランティアをしながら9月から国立大学生(2016/03/06)
モイ国立大学農学部への入学許可(合格)
9月からテラサイエンス&バイオテクノロジーを学ぶ予定。農作物
に良い昆虫や植物など生物のリサーチ、研究。将来は国際援助
機関で働きたい。
ジュンバの2年目の奨学金が出なかった
オティソ
1997年生(G4)
Kaani Lions Secondary school
2011年度 F1
2012年度 F2
2013年度 F3
2014年度 F4
KCSE: B-
Elite Visionary High SchoolでF4をリピート
2015年度 F4 卒業
KCSE: B+
Kisii University(国立)
教育学部
2016年度 一回生
2017年度 二回生
2018年度 三回生
2019年度 四回生
セカンダリーの理数科教師
2017年1月~5月まで大学が休講になった間マゴソスクールで働く
その後も大学が休みの間はマゴソでセカンダリー生の補習授業の先生などのアルバイト
2016年 40,955ksh
2017年 4,012ksh
2018年 40,000ksh
2019年 13,500ksh
母親はシングルマザーで田舎(キシイ)で自給自足生活を営む貧困者。収入はない。
兄、8年生まで。本人は次男。妹は2016年度Form1で田舎の高校に村のハランベーで行っている。
オティソは叔父の支援でKaaniへ行くが、Form3、4は家庭事情で支払いが滞り、Form4の時に叔父が事故。
そこでForm4はほとんどKaaniに行けず、その際のKCSEはB-.
Eliteの授業料は叔父の支援ではなく、オティソが自分で補習授業のアルバイトをして稼いで支払い。
高校費用を支援してくれた叔父は低所得者で、自身の子供たちもセカンダリースクールが2名、小学生3名と負担が大きく、オティソの大学費用の支援を頼ることは出来ない。
初年度の学費の支援の申し出があり、初年度の学費として個人の支援者が50,000円を支援。
2年目以降は国からの奨学金を申請。
2年目の国からの奨学金(ローン)が承認になった。
ジョンソン
2000年5月3日生
決定
355点
B
G8
Elite Visionaru High School
Kenyatta University ケニヤッタ国立大学 商学部
(合格したのが商学部ですが、のちに教育学部に行きたい希望がある。)
キスム生まれ
小1のときに叔父に連れられてキベラへ。その叔父のもとで現在も生活している。
両親は田舎で無職。ジョンソンが覚えていないくらい昔に父は去り、母親は実家に帰った。
母は小さな畑を耕している。キベラの叔父の妻が、母の妹。母の弟は8年生を出てから田舎で溶接工をしている。
ジョンソンは2005年に叔父に連れられてキベラへ。
叔父はマゴソスクールで洋裁の仕事をしていた。
小1でマゴソ入学。
セカンダリーは自力で何か所かの奨学金を取り、キベラのデイスクールであるElite へ。
田舎には弟が1名いるが、母が貧困なので田舎のコミュニティにサポートされている。現在小7。
田舎には母、祖父(78歳)、祖母(69歳)。全員無職。
叔父の兄はケニヤッタマーケットでテイラーをしていたが、2013年にフリーダさんの診療所で倒れてその場で死亡。
2015年には叔父も糖尿病のtype2 の末期と診断され、ほぼ寝たきりに。(以来、失業。)
調子がいいときは、週に2日程度、仕事をする。(1日の日当は500シリング)。
叔父の妻は生活苦で田舎に返された。子どもは3名で、15歳、8歳、2歳。全員、田舎。
昨年12月にジョンソンが高校卒業してからは、ジョンソンがマゴソスクールで働き、その給料と叔父の給料を合わせて生活している。
性格は非常に温厚で、しっかりしている。
聡明。
自分が苦労したバックグラウンドなので、子どもたちを助けたい。
1月からマゴソで働き、先生たちから最も高い評価を受けていた。
起業し、人を雇えるようになりたい。
今回の入学で必要な費用は以下。
学費 51,500ksh (年間)
宿舎 10,500ksh (年間)
文房具、書籍 7,000ksh
食事 5,000kshx2semester=10,000ksh
合計 79,000ksh
貯金 -15,000ksh
残額 64,000ksh
ということで、64,000kshの支援を求めています。貯金はマゴソで働いて貯めました。
次の年度は2020年5月か、9月からの予定です。
他にかかる費用は自分で何とかすると言っています。
コスマス
決定
356点(2014年)
B-
G8
Langata High School
Moi University モイ国立大学 理学部
現在支援を受けている大学4年生のオティソのいとこ。
父はキベラ在住で夜勤の警備員をしている。薄給で家族が多いので、生活状態はとても厳しい。
母は2016年に離婚。
コスマスの父の姉がオティソの母親。オティソの母は貧しいシングルマザーで、田舎に住んでいる。そのためオティソはコスマスの父に引き取られて、キベラで育ち、マゴソに通った。
コスマスは小学1年生からマゴソに入学。四人兄弟で、姉は田舎で結婚、無職、
妹はキベラのデイスクールでForm1(父親が学費を払っている。)
弟はマゴソ4年生。
もう1人、父の死んだ兄弟の娘も引き取って共に暮らしている。Form3
コスマスは、Langata High School 卒。学費は、CDF(政府系奨学金)が年間30,000ksh、父親が年間26,000ksh払っていた。コスマスが高校入学の年にキベラスラムで大火事があり、マゴソスクールも一部が焼け落ちて、周辺のホームレスになった住民がマゴソスクールに避難して生活をはじめたため、その対応でその年度は高校進学支援が出来なかった。そのため、彼も高校進学の支援をマゴソスクールからは受けられなかった。
まじめな性格。
リリアンとダン先生から推薦あり。家庭状況としてとても厳しいので支援をするのがいいと推薦されました。
学費 31,750ksh
宿舎 7,000ksh
食事 18,000ksh
書籍 9,000ksh
合計 65,750ksh
貯金 -15,000ksh
残金 50,750ksh
貯金は日雇いをして貯めたそうです。入学は8月26日です。
カレル
決定
Nairobi University ナイロビ国立大学 統計学部2年
(工学部に移りたい希望がある)
カレルは初年度は我々の支援は受けず、母親が自力でやりましたが、2年目に一部支援を求めています。
母親はシングルマザーで、子どもを預けて出稼ぎに行っていました。
なので、カレルは幼稚園にあがる前からマゴソに住んでおり、自分の母親とは暮らしたことがなく、ずっとマゴソファミリーで育ちました。
母親は長い間、タンザニアにメイドとして出稼ぎにいっていたのですが、その仕事も終了してナイロビに帰ってきました。
ナイロビでもしばらく、メイドをしていたのですが、また失業して、
リリアンが店を開いてからは、リリアンの店を手伝って給料を得ています。月給は5000シリングです。主に店番をしています。
その他、マゴソスクールの手伝いをしています。(無給)
マゴソに住んでいるので、家賃と食費はかかりません。
母親はとても性格がよく、信頼できます。子どものために稼いだすべてを使います。
大学の1年目は母親がすべて払い、私たちは支援しませんでした。
今回は、2年目になり、大学でノート型パソコンが必要だとのことで、その条件が、マゴソにある中古のパソコンでは条件を満たしませんでしたので、母親が借金をしてノート型パソコンを買いました。これが35,500ksh
で、そのうちまだ借金が10,000kshあるそうです。
カレルは高校生のときから非常に優秀で、全国のトップレベルの成績でした。
マゴソスクールでもよく手伝っています。
カレルにはマゴソで働いて得たお金をためた貯金が12000kshあります。
学費 28,500ksh
宿舎 10,000ksh
食事 母親が捻出
このうち、12,000の貯金を差し引き、
16,500ksh を支援してほしいということです。
エミテワ
決定
AIC Nairobi Training Centre
エミテワが子ども2人を連れてマゴソに帰ってきて、一年以上過ぎました。
マゴソの幼稚園の年少さん担当で先生をしています。月給は10,000ksh
この使用明細を書くように伝えたところ、以下のように書いて来ました。
家賃 2800
買い物 1500
子どもを預ける費用 1500
牛乳 1500
野菜 1500
朝食のマンダジ 900
これで合計、9700ksh です。
月給10000ksh はすべて終わってしまいます。
子ども2名だけではなく、高校を卒業したアタンバ(弟)のめんどうも見ています。
アタンバは日雇いに行っているそうです。
アタンバは別の部屋を借りて、食事はエミテワの部屋で食べ、そのあと寝に帰るそうです。
もう一人の弟のルワビは別の生活をしています。
この暮らしの中で彼女は13200ksh の貯金をして、4月にその支払いをして入学しました。
これは、幼稚園の先生の資格を取るためのホリデースクールです。
エミテワの場合は、高校の卒業成績が悪く、D-だったので、Certificate のコースを取る前に、Proficiency
を1年間やらねばなりません。その後、certificate を2年間やります。
なので、合計3年間です。
その後、Diploma, Degree と進むことが出来ますが、まずはcertificate
まで取れば、ケニアの教育省からの教員登録の番号が取得できるそうです。それが勤務資格になります。
4月の学費 7000ksh と、試験料6200ksh を自分自身で支払いました。
それで貯金はゼロになり、今後貯金をすることも厳しそうですので、
あとは支援することになります。
休みの時期に1カ月づつ学校に行きます。
4月、8月、11月です。
それぞれ、5,000ksh づつ払います。
学校を卒業した卒業生たち
Generation 9
ジミー
285点
Langata High School
2016年 114,313ksh
2017年 35,940ksh
2018年 105,550ksh
父は小学8年生までしか出ておらず、キベラで靴修理の仕事をしており、1日130~170シリングの稼ぎ。
母は専業主婦で何もしていない。母はForm1(高校1年生)を中退。
家は貧しいがとても綺麗にしていて非常に好感が持てる。
貧しいながらも両親とも一生懸命で真面目な人。彼の高校進学の為に少ない稼ぎから貯金をしていた。
しかし高校生の姉もいる為、苦しい状態です。
ジミーは喘息もちのため、遠くの学校に行かすよりもナイロビの方がいいという事で、Langata High Schoolの入学許可を父親が自分で取得してきた。
ここの学費は一学期目が26,772ksh、二学期と三学期も合わせると年間57,000kshです。
Kaaniより若干高いがOl Kejuadoより大分安い。制服代が高く17,165ksh。
ジミーは小2の時からマゴソスクールに通っている。
彼はマゴソでKCPE16位だったので、成績はさほど振るわないが、卒業してからも毎日マゴソに来て手伝いをするなどひたすらマゴソスクールが好きな生徒で、
音楽のチームとしても活発に活動をした。
姉はDonnahと言い、マゴソで8年生を卒業しKaaniに自費入学したが、学費が続かずForm1(高校1年生)の最後に退学。今年は田舎のDay SchoolのForm2に編入したが学費が払えず現在に至る。
弟はMogan,マゴソの5年生。その下に妹のWhitney2歳がいる。
シャロン・アティエノ
290点
St Joseph’s Tuk Jowi Girls High School
↓
Kyanda Secondary School
2016年 12,000ksh
2017年 63,650ksh
2018年 70,205ksh
シャロンは、母親しかいなくてお金がないので支援してほしいと言う内容の手紙を自分で書いて持ってきた。
父は2004年に田舎で死亡。
母はその後シャロンを連れてキベラに出てきて、オナメ(小魚)を売り、ミシン一つの小さな店をやっていたが、2015年12月27日の火事で全焼。母親は病気がちで体調が悪い。
店が焼けてしまったので、友人のマンダジの店を手伝っている。
日当300シリング。学校はForm4まで田舎で卒業している。
シャロンは弟が居て、弟Victorは7年生で田舎の学校へ行っている。田舎にはおばあちゃんが居る。
カリユキ
2004年2月15日生
333点
Kyanda Secondary School
2016年 73,150ksh
2017年 32,528ksh
2018年 79,305ksh
彼はすごく成績が良いのにあちこちウロウロしてるという事でオギラ先生が気にしていた生徒。
父親はいなく、母親は小学校4年生を中退。メルー出身。
母親は洗濯の日雇い仕事で、得られる日当は150シリングほど。住宅街の門の所で待って、洗濯が有る日は呼ばれる。
仕事のない日も多い。カリユキがマゴソに来たのは7年生から。
妹のCarolineが今マゴソの7年生(2016年1月現在)。
カリユキが屑拾いに出る理由を問いただしたところ、家に居ても食べ物がなくお腹がすいて街に出るようになった。
そこで友達になったチョコラー(浮浪児)達が屑集めの方法を教えてくれた。
なので、カリユキは非常に成績が良いものの半浮浪児的な素行の不安が有る。
彼は名門 Ol Kejuado高校に入学許可を受けたが、途中でドロップアウトする懸念が心配される為レベルを下げてKyanda入学とした。
現在Kyandaにはマゴソ出身の自費入学の生徒も多く、ダン先生も頻繁に行く学校なのでモニターもし易いので入学手続きをした。
スティーブン
316点
Olympic Secondary School
↓
Kyanda Secondary School
2016年 24,724ksh
2017年 62,890ksh
2018年 70,205ksh
お父さんが居なくて、母親だけで四人の子供を育ててきた。
2015年12月27日の火事で家は全焼、家財道具も全て焼け、高校生の娘を二人抱えるお母さんはお手上げ状態で、スティーブンは高校進学をあきらめるようにに母親から言われ、絶望的な気分になっていた。
それでも高校に行きたいとレターをもって何度も何度も相談しにやってきた。
最終的には母親が入学準備を整え、後は学費だけと言う所まで行きました。
このまま放置したら彼は確実に高校へ行くことが出来ず、しかも8年生をリピートしているので、もうリピートのチャンスはなくこれが高校進学の最後のチャンスでした。
なので、Form1の1学期のみしか支援の約束はできないと言い1学期の費用を払ってキベラのDay SchoolのOlympic Secondaryに入学しました。
母親はシングルマザーで子供が四人。母親の仕事はマーケットで料理の手伝い。それで1日200シリング程度の賃金を得ます。
スティーブンはものすごく引っ込み思案の性格で、何時もおどおどしている感じの生徒。
セリーン
2002年生
St.Mary’s Nyamarimba Secondary School
2017年 52,097ksh
2018年 99,215ksh
もともとジュンバ・ラ・ワトトで生活しており、1回目のKCPEはジュンバで受験した。
リピートしてマゴソファミリーになる。
2回目のKCPE受験後奨学金を得られずに田舎へ帰る。
両親は地元に暮らしているが父は無職、母は心の病との事で家庭環境はかなり厳しく、
オロディ先生の奥さんの葬式の時に、リリアンが村でセリーンに会い、非常に生活状態が悪かったので連れてきた。
1年目はリリアンが個人的に学費を支払ってセカンダリースクールに入れていたが、リリアンの生活状態が悪化の為学費が支払えない。
その為Form2から支援に加える。
大学・専門学校を卒業した卒業生たち
ノノ
1997年生(G4)
Ol Kejuado High School
2011年度 F1
2012年度 F2
2013年度 F3
2014年度 F4 卒業
KCSE: B-
ケニア国立鉄道専門学校
2016年度 1年生
2017年度 2年生
2018年度 3年生
エンジニア将来は自分の建設会社を開き、多くの人々が働けるようにしたい。
2015年より建設業の仕事に従事し、日給300kshを得る。
2011年 51,054ksh
2012年 55,427ksh
2013年 59,227ksh
2014年 0
2015年 0
2016年 91,105ksh
2017年 113,401ksh
2018年 195,319ksh
2019年 75,011ksh
父親はキベラ在住で日雇いの仕事、母親は田舎に在住。
ノノは6人兄弟の長男。キベラに父、従兄弟、ノノの男3人で暮らしている。
母親は他の子供とたちと一緒に田舎に在住。
ノノは2009年に他の小学校でKCPEを受験し優秀な成績を収めたが、父親の経済的な事情で高校に進学することが出来ず、マゴソに来て8年生をリピート。
生活状況は非常に悪く経済的に非常に困難でであるが父親はとても頑張っている。父親はノノを高校へ行かせるのが夢だった。
その後両親とも死亡。完全孤児となる。
ノノは大学は決まっていたのにKCSEでB-の成績で奨学金がもらえず大学に進学できなかった。
日給300kshで建設業の仕事をし月2,000kshの部屋を借り一人住まい。今後どうしたらよいかとOBOG会に来て相談。
オギラ、ダン先生の提案で鉄道研究所付属の鉄道専門学校に進学したらどうかという事になる。
2016年9月に専門学校に入学したものの生活が成り立たず、
ジョン・パトリック・ノノの3名で共同生活をすることになる。学校が休みの時には日雇いのアルバイト。