キベラスラムの食料配布を続けながら、同時進行で、ドゥルマ民族のマテラ長老のミリティーニ村でも食料配布を開始した。
数年前、高速鉄道駅が村の中に出来て、高速道路も通り、周辺は急激に開発され、村人たちの畑は完全に収奪された。
それが原因で困窮していた上に、今回コロナ感染拡大でモンバサロックダウン。モンバサではナイロビよりさらに厳しく、この村でさえ家を出ると警察から滅多打ちにされている。
工事現場で日雇い労働をして日銭を稼ぎ家族を支えていたいた若者たちも、家を出れなくなった。

私もナイロビ封鎖中なので現地に行けない。そこで、マテラ長老の弟のサイディ(ダガムラ村在住)に相談し、ミリティーニ村の若者カテンベに手助けしてもらって食料配布開始。

カテンベは2006年、14歳の時に2つの腎臓の完全な腎不全に陥り、死にかけたところを、私とミュージシャンの大西匡哉さんの呼びかけに応えてくれた日本の仲間たちと共に、約半年間で1000万円集めて移植手術を受け、一命を取り留めた。

そのカテンベが今、大人になり、私が村の人たちに食料配布するのを助けてくれる。
彼は、自分の命は自分ひとりのものではない、多くの人々に助けてもらったからこそ今生きている、だから世のため人のためになる働きがしたいと常日頃話している。この写真や動画はカテンベが送ってくれた。

ミリティーニ村の状況について、コロナ封鎖直前に、YouTuberのBucketlistリョースケさんと、Cheka TVユウキさんが取材してくれた。
この動画は3月中旬に撮影したもの。
この直後からケニアは国際線停止、そしてナイロビとモンバサは封鎖となった。

私が村で運営する子どもの家Jumba la watoto は3/31に政府指示で閉鎖させられ、その直後にこの村でもコロナ感染者が出た。警察が配備。外に出ると殴られる。村人たちの困窮が始まった。もともと貧しい村人たちだが、いま食料がまったくない。

もともと15年前に、私のキベラスラムの孤児たちを受け入れてくれた村。
マテラ長老が言ってくれた。
我々の村は貧しいけれど、みんなで食べ物を分け合えば何とかなるから、キベラスラムの子どもたちを連れておいで。
親を亡くした子どもたち、かわいそうじゃないか。子どもたちはこの村に来て、お父さん、お母さんと呼べる人を、この村で得たらいい。
それからずっとこの村で、数多くの孤児たちを養育してもらい、現在に至る。

今このミリティーニ村で食料配布を助けてくれるカテンベ、14年前に手術を受け救われた命への感謝を決して忘れない。とてもよく動いてくれる。

3月中旬に、YouTuberのリョースケさんとユウキさんがカテンベの家を訪ねてくれたときの映像。

⭐️コロナ対応で毎日が目まぐるしく過ぎていく。脳内が爆発しそうだが、フッとこうして、これまで点在していた点が線に繋がっていくのを感じる。
その時々には、それに何の意味があるのかわからないままにやってきたことが、時間を置いて繋がり始める。
いつも目の前のことに一生懸命に生きればいいのだ、と励まされる想いだ。

⭐️今回、緊急に開始したミリティーニ村の食料支援だが、多くの人々に助けてもらっている。
心からの感謝を伝えたい。

そして、キベラスラムへの支援には、とても多くの皆様が、投稿をシェアしてくださり、寄付をしてくださった方々、マスク売り上げやオンライン講座からの収益を送ってくださったり、オンライントークを企画してくださったみなさん、そこにご参加くださった皆様に心からの感謝を❣️本当にありがとうございます。

そして、これからも、この動きは長期戦になります。なぜならば、いまわかってきたこと、これはコロナの影響をきっかけとして始まった動きだけど、そこにはそもそもの、この世界の不均衡や、世界的な事情、不利な状況にある人々の現実があるからです。
今このコロナ影響により、世界はしっちゃかめっちゃかですが、何よりも大事なのは、これを機に、本質的なこと、世界のあり方を見つめ直し、世界中で真剣に、時間をかけて、世直しに取り組んでいくことでしょう。

そのために、もちろん貧困者側も、受け身でいてはいけません。
共に取り組んでいく世界の課題だと思います。

貧困者側にも、意識を持つ人や、行動を起こす人たちがいます。
私たちは連帯できると思います。その連帯が、この先の世界をより良い世界に変えていく力になると信じます。
私は貧困者側の彼らの声を伝え続けていきたいです。

皆様に励ましていただき、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。キベラスラムの仲間たち、そして、ミリティーニ村の仲間たちのことを知ってもらえると嬉しいです。