『マゴソスクール』の危機的状況を見過ごすことが出来ない人々によって始まった『マゴソスクールを支える会』。その中のひとりとして、参加させていただいていることに感謝します。

 
『マゴソスクール』は、何度も何度も、危機的状況を、リリアンさん、早川千晶さんたちの努力により、奇跡的に回避してきました。しかし、私は、千晶さんの口から今回初めて「私やリリアンが死んでも、マゴソの子どもたちが困らないような学校運営をしたい。」という言葉を聞きました。このことが、今回新たに『マゴソスクールを支える会』が誕生したきっかけでした。
『マゴソスクール』は手探りで、必死に子どもたちを助けようとして、600人もの子どもを抱える大きな学校になりました。600人の学校を作ることが目標だったのではなく、600人もの最も助けを必要とする子どもが居た結果です。
経営が困難だからといって、縮小するということは、子どもたちを、もう一度路上に放り出すということです。それだけは避けたい。そんな思いで必死に、守ってきた学校だということを、私は知っています。

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私が千晶さんと出会ったのは、25年前のケニアのナイロビでした。千晶さんは、生まれたばかりの子どもを抱え、私は、お腹にもうすぐ生まれる子どもを抱えていました。お互いママに成りたてのママ友でした。その後、千晶さんはナイロビで、私は日本に帰国して、一緒に子育てをして来ました。
千晶さんは、そのうちに、スラムのリリアンさんの作った『マゴソスクール』の運営を手伝うようになりました。私は、自分の子どもの通う学校や、その他様々な機会いを作り、千晶さんにケニアの話しをしてもらうようになりました。

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私は、その間、シングルで3人の子ども(うち末っ子は重度の知的障がい児)を育ててきました。私の心を強く支えてくれたのは、スラムで子どもを育てるママたちでした。生きるために何でもして、子どもを育てる姿に、励まされてきました。貧しくとも、愛情あふれるママたちが、私の仲間でした。劣悪な環境の中、太陽のように笑うママたちが、私の目標でした。
なので、私は、自分の子どもたちと、マゴソの子どもたちを一緒に育ててきたような気持ちでいます。いつも、マゴソの子どもたちの事を思っていました。自分の子どもにジュースを買うお金があれば、マゴソの子どもの給食費10人分になったほうがいいと考えました(マゴソの給食は1食10円です)。そして、それを私の子どもたちは理解し、協力してくれました。そのお蔭で、私の子どもたちは贅沢を言うこともなく、私にお金の心配をかけることなく、自立してゆきました。末っ子は、まだ一緒に暮らしていますが、いずれ、人の助けを借りながら、自立に向かう道筋が出来たら、と思っているところです。この手探りの未知なる道も、『マゴソスクール』の“新たな挑戦”と伴にあると思っています。
『マゴソスクール』との出会いはそれだけにとどまらず、『マゴソスクール』を支える人々との出会いをもたらたしてくれました。「これほど、優しい人々が居たのか?」と感激するような出会いでした。それが、『マゴソスクールを支える会』との出会いです。

 
20人から始まった『マゴソスクール』が、600人の子どもの通う学校になったように、『マゴソスクールを支える会』が、600人、、、1000人、、、と大きく広がるよう、願っています。
私たちは、弱く貧しいからこそ、助け合えるのだと思います。そして、助け合うことそのものが、幸せなことなのだと、私は思います。
子どもたちの未来が、幸せでありますよう祈りながら、『マゴソスクールを支える会』に寄せる思いを書かせていただきました。

 
読んでいただきありがとうございました!

2015.11.17 白岩佳子