(写真を撮る時間がなかったので、この写真は以前のアカラマンの仕事場での写真です。仕事場は線路の上で、古タイヤを材料にサンダルを作っています。この古タイヤのサンダルのことをアカラといいます。)
アカラマン一家は9人の子どもの父子家庭です。奥さんはいません。アカラマンの奥さんは4人の子どもを連れてアカラマンと結婚して、その後、5人の子どもを産んだのち、9人の子ども全員を置いて蒸発しました。それ以来、アカラマンはひとりで9人の子どもを育てています。
アカラマンは病気で、体調のいいときしか働けません。リリアンに支援を求め、9人の子どものうち2名はジュンバ・ラ・ワトト(マゴソが運営するモンバサ近郊の村にある子どもの家)へ。(7年生と5年生。)下の3名の子どもたちはマゴソスクールの6年、4年、1年です。上の4名の子どもたちはマゴソ卒業生です。
なので、マゴソスクールの最も古い保護者のひとりで、長年の付き合いです。とても貧しいけれども、子どもたちをとても大切にしています。
アカラマン自身も病気な上に、栄養失調ではないかと私はいつも見て思っていましたが、ジュンバに行った子どものうち1人も健康診断をしたら栄養失調で極度の貧血でした。そこでナイロビに戻って治療をして、またジュンバに帰ったという経緯があります。それでもジュンバに行った男の子1人は、どうしても家に帰りたくて、線路の上をひたすら歩いたら帰れると思い、ジュンバを家出してひたすら線路の上を歩いているところを見つけて保護したことがあります。(ジュンバからキベラまでは500kmあります。その子はアカラマンのもとへ帰りました。)
いくら貧しくとも、食べ物がなくても、親に大切にされている子どもは、施設よりも家のほうがいいのです。アカラマンの家はものすごくボロボロで狭い部屋でした。そこにぎゅうぎゅう詰めになって子どもたちと暮らしていました。
しかしその家は線路上ですので、立ち退かなければなりません。ところがアカラマンには行く場所がなく、お金もありません。
昨日の夜遅くにマゴソに助けを求めに来ました。朝になるのを待って新しい部屋探しをしています。
撤去の際に女の子たちのほうが危険があるので、まずはリリアンが下の2人の女の子たちをマゴソファミリーに保護しました。そして男の子たちはアカラマンのもとに残り、撤去の対応をします。
このアカラマン一家を支援対象に加えましたので、現在、合計6世帯への支援を行っています。
また増えていく可能性がありますので、随時お知らせしていきます