皆さんこんにちは、たくさんのコメントとシェアをありがとうございました。マサイは牧畜民で、狩猟採集民族ではなく、食べるための狩猟は行いません。彼らは数多くの牛やヤギを自然の中に放牧させて生きています。主食は牛乳、肉、必要に応じて家畜の血。です。自然の中の草木を薬として活用し、多種多様の野生動物が生息する生態系の真っ只中で生きてきました。彼らの暮らしは、目の前にライオンやヒョウ、ハイエナなどの肉食動物や、象などの大型動物がいる真っ只中にあります。そんな大自然の中で生きるための知恵や技術を彼らはつちかってきて、次世代へと伝えてきました。誤解を招いたかもしれないのですが、ここに書いている野生動物の殺傷というのは、食肉のためではなく、主に2つの理由があり、ひとつは自分たちの家畜や生活に被害をもたらす野生動物との衝突において、自己防衛のために戦った結果の殺傷、それともうひとつは、彼らの伝統において男子が子供から大人になる際に、戦士時代と呼ばれる青年期を過ごしますが、その時代には長老から様々な学びを受けて自然や動物、家畜に対する知識を身につけ、技術や、勇敢さ、マサイとしての精神性を身につけます。実際に家畜や家族を危険な野生動物や襲撃から守るための実働部隊でもあり、そのために槍、短剣、弓矢、こん棒で武装して、戦闘技術を磨き、もしも襲われたら反撃をします。反撃をしなければ、またやられるため、将来の防衛のために反撃をします。そのような勇敢さを示すための通過儀礼のひとつに、肉食動物と戦うという伝統があり、20名ほどの小グループでライオンを探す旅に出て、ライオンと向かい合って戦いあいます。これはむやみやたらにライオンを殺すのではなく、ルールがあり、寝ているライオンや後姿のライオンを襲ってはならないとされています。そして、銃は使ってはならず、短剣と槍のみでライオンと命がけでうちあいます。

このように生きてきたマサイですが、彼らがこのようなライフスタイルを可能にするためには、広大な土地に、少しの人間で、生きていくしかありません。そのために彼らは彼ら自身で産児制限をする伝統もありました。しかし今の時代は、彼らがそう生きていきたくても生きていけない諸事情があります。まずは、そんな広大な土地はもうありません。一見みますと、あー広々としてすごいなと思うかもしれませんが、彼らマサイや、野生動物の生態系が、もともと、完全な自然の状態で生きてきた範囲というのは、もっともっと広く、そして、手付けずの大自然でした。今の時代は、諸事情により、マサイにとっても野生動物にとってもこの大自然の大地は狭められ続けています。ケニアの爆発的な人口の増加、自然環境の変化による天候の変化、農耕民族の進入、大農場や工業地帯、都市、道路、鉄道など、開発による影響、ケニア政府の土地管理に関しての方針、など、様々な理由で、変化はいちじるしく、彼ら自身もそれに対応して生き方を変容させていく必要があります。

ケニア共和国は、多民族の国家であり、伝統的な生業や、伝統文化、言語もまったく違う42民族が調和しあって生きていくことを目指している国です。それぞれの民族に、それぞれの事情があり、自然環境や天候の条件がもっともっと厳しい僻地で生きている民族もあり、また、農耕民族でありながらすでにかつての自給自足型の農耕生活では生きていけなくなっている民族もあります。農耕民族にも土地が足りず、貧困に苦しむ民族もあります。そんな中で、マサイは、自然の中で生きる伝統生活スタイルを守っていきてきたから、電気や水道などのない暮らしをしてきましたが、それは決してマサイが貧困にあえぐ民族ということではなく、むしろ、マサイは、数多くの牛やヤギなどの家畜を財産として生きているため、伝統的暮らし=貧困者ではありません。マサイは、多数の牛を維持できるための放牧生活が可能な自然環境さえ確保できていれば、問題なく生きていくことができます。しかしそれがもうギリギリのところまで来ています。野生動物たちは、自然の移動経路や、季節に応じた行き場所がありますが、それらの古くからの自然の移動回廊は、ことごとく、遮断されていってます。回廊だった森の伐採や、回廊だった場所に鉄道や道路がしかれる、町ができる、農場ができる、そうやってどんどん、動物たちも移動に困り、それによって人間の生活との衝突が頻発していくようになりました。

また、密猟という大きな問題もあります。密猟は、国際社会がかかわっているため、ケニアやマサイだけの問題ではなく、国際的に対応していかねばならない問題です。ケニアは国として1977年に動物ハンティングを全面的に禁止しました。なので狩猟は法律違反です。密猟は、象牙と、犀角を狙った、組織的な武装密猟があることと、食肉として売買することを目的として周辺の貧しい民族が罠などを仕掛けて草食動物を密猟する場合とがあります。当然ですがそのすべてが法律で禁止されて取り締まりを行っていますが、最も大きな問題は象とサイの密猟、このままだと絶滅してしまうほどの深刻な問題です。ケニアは数多くのレンジャーがトレーニングを受けて、この密猟対策に国をあげて取り組んでいますが、レンジャーは命がけで密猟者と戦い、命を落とすレンジャーもいます。ケニアは国として、この密猟に反対を訴え続けてきて、国際社会にアピールするための取り組みもこれまで長年行ってきました。

というわけで、マサイが暮らす地域というのは、まさにこのすべての問題のホットスポットであり、だからこそ、マサイのコミュニティに対しても、様々な組織からのアプローチや説得、そのための取り組みが行われているわけです。私は個人的には、マサイの伝統文化がずっと続いて欲しいと思うけれども、今の時代は、マサイがマサイだけに都合のいいように生きることはできない諸事情がありすぎることも理解しています。マサイも、ケニア共和国の国民の一員であり、ケニア全体が抱えている問題と時代を共にしています。なので、マサイの中にも、そのような現代事情にも強い関心を持ち、実際に積極的に取り組みをしている人もいますし、また、反対に、マサイの中での腐敗構造や、彼ら自身が様々なグループ間での無為な勢力争いや内紛で自滅していっている一面も現実としてあります。伝統生活だけを送ってきたマサイが、西洋的な近代教育が遅れたため、近代社会に対応できていないと考え、マサイの教育レベルを上げなければならないと考えているマサイたちも数多くいます。そんな中で、それでもマサイの誇りや伝統を愛しているから守り抜いていきたい、無くしたくないと考えているマサイも数多く存在しています。私は、彼らの地域に起きる変化を長年身近に見続けて来ましたが、彼らが、昔のままそのままで生きていくことは、やはりもう今の時代、これからの時代は、すでに不可能だろうと思っていて、それは確かに残念なことではあるけれども、でも、彼ら自身も変化を求めていたり、変化せざるをえない諸事情があり、ケニアの国全体の激しい土地問題や、貧困問題、国際社会からの影響、様々なことを考えると、変化はやむをえないと思っています。そんな中で、彼らがより良く未来に対応していけるということ、めちゃめちゃになってしまわないで賢明な選択ができること、そのためには知識や情報や人脈を獲得していかねばならないこと、彼らが内部モメで自滅していってしまわないこと、そんなことを願っています。

あと、野生動物に関してですが、この多種多様な野生動物が生きる大生態系は、地球の宝です。何が何でも、守りたいです。この21世紀に、いったいどんな折り合いをつけていくことができるのかということは、マサイだけの問題ではなく、われわれ人類すべてが早急に考えて行動していかねばならない大きな課題だと思います。マサイの暮らしにいま起きていることは、その顕著な例なので、それを知ることが、地球全体の問題として考えていくためのひとつのきっかけや参考になるといいなと思って、私にとっては自分の生活の場の最も身近なところにいる人々であるため、マサイの暮らしの現場や、キベラスラムでの生き様などを、具体的にお伝えしていくことができればと思って、ときどきこういう投稿をしています。今回の投稿に書いた、会合ですが、その場にいてやはり様々な立場の違う人間が、やはり感じ方も利害も違っていて、折り合いをつけるのは簡単なことではなけれども、ケニアの人々やケニアの様々な組織は、それぞれ身近な問題として捉え、考え、取り組んでいるということを肌身に感じました。会合に参加して神妙に話を聞いていたマサイの戦士たちの、本当につまらなそうな浮かない表情というのがとても印象に残りましたが、しかし、そんな彼らも、その場で携帯電話をいじっている若者がいたり、また、あとあと彼らと会話をして感じたことは、彼らの中にも学校に行っていた若者がおり、できればまだ進学したいと考えている者もおり、学校生活と戦士生活の両立をしている者もおり、現代社会の中で様々な葛藤や変化の渦の中に彼ら自身もあります。

この地域のマサイの青年たちで戦士活動に入っている世代は、彼らが提示した数としては5000名とのことで、そのうち約半数が、小学校やセカンダリースクールの生徒だということです。4月になると学校が休みになりますので、その生徒たちも集落に戻ってきて、学校の休みの間だけ戦士活動に入ります。この5000名(彼らの言う数なので、実際の数はもっと調べてみなければわかりませんが)の戦士たちの中でリーダーと副リーダーにも会いましたが、リーダーは昨年高校を卒業した者、そして、副リーダーはこれまで一度も学校に行った事がない者でした。これも面白いと私は思いました。学校に行った者は読み書きができ、英語やスワヒリ語も話せますから、今後彼らがこの地域のリーダーとしてどのような働きをしていくかということは注目していきたいです。また、外からの接触は、今の時代、決して悪いことではなく、彼ら自身も良い形の交流であれば学びや気付きのきっかけになったり、実際に彼ら自身では対応しきれないような大きな問題に接したときに相談できる場があったり、議論を交わす機会があったりなど、これまでの時代とは違う形で、外部との接触は彼らの暮らしに力にもなっていくのではないかと思います。そんなわけで、私も交流を続けたいですし、日本の皆さんにも直接、彼らと交流してもらえるような機会を作っていきいたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。そしてここでこうして様々な意見交換が交わされることは、とても嬉しいことだと思いますので、皆さんまたいろいろなご意見をお待ちしています。

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