マゴソスクールでは朝と昼の給食を毎日作っています。何しろ600人の子どもたちですので、量はとても多く、巨大な鍋3つの大かまどで薪で炊きますが、量が多すぎていろいろなメニューを作ることはできません。毎日日替わりのメニューを作ることが可能だったのは200人くらいまでだったな~と思います。
毎日、朝食給食はウジ(シコクビエのおかゆのようなもの)1人カップ1杯、昼食はギゼリ(白いトウモロコシの粒と赤いお豆の煮物)。これだけですけど、子どもたちは大喜びの給食です。
マゴソに住んでいるマゴソファミリーの子どもたちには夕食も作っていますが、通いの子どもたちはスラム住民の家族のもとに夜は帰ります。そうすると、家が貧しいため、家では食べるものがまったくないという家庭が多く、おなかすいたままで夜は寝て、それで朝学校に来るとおなかすいてフラフラ・・・という子どもたちがこれまでたくさんいました。
それでも学校に来たいのでおなかすいてフラフラでも学校に来ます。私がマゴソスクールを始めたばかりのとき(1999年)には、ナイロビの中流住宅から廃品回収をして、それをスラム内でバザーをして売り(古着1枚10円や20円で販売)、それを資金に食料を買い、月水金の週3回の給食を出すところからはじめました。ところがそうすると、学校の給食しか食べるものがない子どもたちが多く、給食のない日はおなかがすきすぎて目が回って学校で倒れるということがありました。そこで、毎日給食を出したいというのが悲願となり、それから毎日の昼給食を出すようになり、土曜日給食も、そして朝も出すようになったというわけです。
マゴソスクールの子どもたちの家庭訪問に行くと、家庭のあまりの貧しさに愕然とするときがあります。でも家のお父さんやお母さんたち誰もが言うことは、学校で給食があるおかげでいかに助かっているかということです。子どもたちの中には、給食を残して家のお母さんや弟妹、おばあちゃんなどに持って帰る子どももいます。
キベラスラムの暮らしでは、まずは食べ物をいかにして得るかということが毎日の闘いです。スラムの子沢山の家庭では、十分な食べ物がないときに、やはりどうしても小さな子どもや赤ん坊を優先し、お兄ちゃんお姉ちゃんたちは我慢するということがあります。
キベラスラムの子どもたちやスラムの大人の皆さんについてもいつもすごいなと私が思うのは、今日も昨日もその前の日も、まったく何も食べていないということが日常的によくあるわけですが、空腹についての愚痴や文句を決して口にしない、普通の人は人の家に食客に行くということはまずありません。例えば子どもたちに、食べた?と聞くと、「食べてない」と答えることはなく、嘘でも食べたと言うことがあります。あきらかに食べていないとわかるときにも、そう言うので、はじめの頃私は不思議に思ってリリアンに聞きました。するとリリアンにこう教えてもらった。
今日も昨日も食べていないという状況は、自分だけじゃなくて周りのみんなも同じだから、例えば食事時に人の家をたずねることはキベラではみんなしない。食べてないと言えばその家の負担になる。だからキベラでは子どもには、人の家でおなかがすいたと言ってはいけないと教える。食べてなくても、平気な顔をするのよ。
と、こう言うので驚きました。アフリカの村の暮らしであれば、誰が家族で誰が近所の人かよくわからないくらい、食事を共に食べるのが普通です。でもそれはやはり、村の暮らしのほうが食べ物が身近にあるからなのだと、スラムにはスラムの暗黙のおきてがあるのだということを、彼らとの付き合いの中で知りました。
でも彼らがいつも言うのは、「たとえおなかがすいていても、たとえ辛くても、それでも、辛いのは自分だけじゃない。キベラの暮らしでは、そう思えるから何があっても生きていくことができる。」
仲間がいるということはとても重要なことです。
そしてオギラがいつも言うのは、「おなかがすいたときに、おなかがすいたという顔をしていると、ますます辛くなる。だから、おなかがすいたなんていうことは気づかれないくらいに、明るい顔をして笑うんだよ。」
だから、スラムの人たちは、一見みたら、決して惨めには見えません。惨めな顔をしている人や、絶望した顔をしている人は、ものすごく少ないです。だから、顔だけ見てると、彼らの窮状は、決してわかりません。それをみじんにも出さずに、空腹でも彼らは何十時間も働き続けることができる。人間はここまで強くなることができるのだと、彼らを見ていると目を見張ることがよくあります。
マゴソスクールの給食の予算は、朝食1人1食2円、昼食1人1食10円です。子どもたち自身は給食費は払わずに無料です。これは「1人1食10円給食募金」というのをいつからか日本の有志の皆さんが募金してくださるようになり、完全に募金でまかなうことができているからです。この「日本の有志の皆さん」にはいろんな方々がいらっしゃいます。最初に募金をくれたのはなんと日本各地の小学生でした。1999年から私が講演に行くようになった各地の子どもたちが、1円玉や5円玉や10円玉を握り締めて私に持ってきてくれました。学校の先生からは、「給食を残す子がいなくなりました」とお手紙が来ました。学校でアルミ缶回収をしてお金に換えてくれたり、地域の運動会やお祭りなどでおじいちゃんおばあちゃんから募金を集めてくれた子どもたちもいました。
それから子どもたちだけではなく、大人の皆さんも、「お昼ご飯を食べたつもりで500円募金」を貯めてくださった東北の酒造会社の副社長さん、Table for two の活動で募金を集めてくれた大学生(自分が食べたらもう一人の誰かのための食事になるという意味で、学食のメニューで募金が入るというもの)、お店のレジに募金箱を置いてくれた店長さん、会社で給料の端数を募金にしてくれた皆さん、毎月12日に集まって12円募金をしてくれたママたち、自分の会社の商品の売り上げから給食募金が生まれるシステムを作ってくれた人たち、ライブ会場で募金箱にお金を入れていってくれる人たち。そんな皆さんのおかげで、マゴソスクールの給食は成り立っています。
しかしいくらなんでも、朝と昼で1日1人12円というのは安すぎる!といつも言われます。その秘密を今日は紹介します。ジャーン!
この写真は、マゴソスクールがFeed the Children という支援機関とWFP(World Food Program)との連携で一部の食材の食糧配布をいただいているからです。豆とトウモロコシをもらうことができますが、これがとても厳しくモニターされていて、大人は口にしてはならない、毎日キッチリと量り、それを監視しに来る人がきます。もちろんそのくらい厳しくしないとアフリカでの食糧支援は末端職員の汚職、横流しが非常に多いからです。
マゴソスクールの1回の昼食給食には、白いトウモロコシを82kg, 赤い豆を20kg, 食料油を3リットル、塩を1kg 使います。これを炊くための薪は支給されません。薪代をできるだけ安上がりにするために、熱効率の良い改良かまどを作りました。(NGOケニア天理ソサエティの塩尻先生が作ってくださいました。)
支給される食糧は全体の一部ですが、そのおかげでマゴソでは安く多くの子どもたちに給食を提供することができています。
余談ですが、私はこの活動を始めた頃、なかなか募金を受け取ることができませんでした。それはなぜだったかというと、それまでに私はすでに10年以上アフリカで働いて生きて、ケニア人と結婚して子育てをしていて、感覚的にはほとんどアフリカ人側の人間になっていたのだと思います。それで、アフリカをかわいそうだと思われたくない、惨めだと蔑まれたくない、それよりもアフリカの素晴らしさを知ってほしい、同じ人間として扱ってもらいたいと、そう思う気持ちが強すぎて、募金を受け取ることがまるで施しを受けるように感じて悲しい気持ちになってしまっていたからでした。
でもその後の紆余曲折の後、私は、自分が完全に間違っていたと知りました。世の中には、本当に真心のある人々がいる。食べられない子どもたちに食べさせてあげたいと心から願ってくれる優しい人たちがいる。そんな人たちが手渡してくれる優しいお金は、それを受け取ったときから、お金以上の力が手渡されて循環していくことを経験的に知りました。私は、自分こそが思い上がっていたと、間違っていたのだと、反省して、ガチガチに頑固だった石頭がおかげさまでだんだんと溶けていきました。
皆さんこれまで長い間、マゴソスクールの子どもたちを支えてくださり、私を応援してくださり、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
私たちケニア側でも、仲間たちで力を合わせて、できることを何でもやっていきたいと思っています。どうかこれからもマゴソスクールの子どもたちのための給食を出し続けていけるように支えていただけるととても嬉しく思います。
どうかこれからもよろしくお願いします!
マゴソスクールを支える会が給食募金の窓口となっています。
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