★Magoso OBOG Club before and after ! その①★
photo on the top is 2008 – down is 2016
Pride of Magoso ! Keep it up
左から、オビリObiri, ジョージGeorge, オドンゴOdongo
マゴソスクール卒業生一期生です。
今では全員、立派な社会人。上の写真は2008年2月に高校入学のときに撮った写真です。
マゴソから出たはじめての高校生でした。あれから8年。今ではオビリは携帯電話会社サファリコムに勤務しながら大学院進学を目指し、ジョージは工業地帯で冷蔵庫やエアコンを作る工場に正社員として勤務、オドンゴは国際NGOアマニヤアフリカで働きながらソーシャルワーカーになる専門学校で学んでいます。
マゴソの希望の星~!後輩たちの指導も丁寧にしてくれます。
これからも彼らの活躍が楽しみ!
★Magoso OBOG Club before and after ! その②★
photo on the top is 2006 – down is 2016
Sarah Emitewa, Atamba, Lwabi
エミテワ、アタンバ、ルワビの3姉弟。
村で母親が病気で死亡、その後この姉弟はバラバラに親戚に連れ去られた。年老いた父親はキベラスラムの出稼ぎ労働者だったが、村に子どもたちを迎えに行くバス代が無かった。やっとバス代をかき集めて村に行ったら、子どもたちは行方不明になっていた。
キベラに帰った父親はリリアンに相談。1年かけてエミテワを探し出した。12歳だったエミテワは、マザレスラムで子守り・掃除洗濯をやらされて働かされていた。マゴソスクールでエミテワ救出。実の叔母に、数百円のお金と引き換えに売られていたことがわかった。
その後、2人の弟たちも発見。家畜小屋に寝させられて家畜の世話や農作業をさせられていた。アタンバとルワビ救出。
マゴソからジュンバ・ラ・ワトト(私たちのミリティーニ村子どもの家)に移住。そこで8年生卒業までを過ごし、高校進学。
高校の費用は、MORO教育基金を通じ、エミテワとルワビはMudef(MISIAが作ったアフリカ支援の団体)、アタンバはNPO法人アマニヤアフリカ(仙台)から支援を受け、エミテワは高校卒業後、マゴソスクールの幼稚園教員として働きはじめた。
年老いた父親はキベラスラムで寝たきりになり、姉弟3人で介護をしてきたが、2015年12月、ついに亡くなった。父親は最後まで、子どもたちの幸せと教育の機会を祈り続けた。
*私は、2006年、この子どもたちを探し回っていたとき、父親が私に書いてくれた手紙が忘れられません。お父さんはこう手紙に書いていました。
「子どもたちのことをどうかお願いします。貧しく年老いて病気がちな私には、この子どもたちに十分なことをしてやることが出来ない。自分はもう二度と子どもたちに会えなくてもいいから、もう決して貧しい親戚に売られたりしない安全な場所へ子どもたちを連れて行って欲しい。そして教育の機会を与えて欲しい。」
お父さんは最後まで、とても粗末なキベラスラムの長屋の一室に暮らしながら、病身に鞭打って、ナイロビの街で夜間の警備員の仕事をしていました。わずかな稼ぎからバス代を捻出することはできず、往復徒歩で仕事に行き、夜通し外で警備員をして、体をさらに壊しました。そんなに苦労しても、得られる稼ぎは月に5000円にもならなかった。
理知的な、とても優しく穏やかなお父さんでした。私はこのお父さんが大好きでした。お父さんの葬式が終わってからあと、3姉弟にこのお父さんの手紙の話をしました。3人は泣いていました。
ババエミテワ、どうか安らかに眠ってください。もう何の苦しみも病いも悲しみも無い、美しい神様の花園で、穏やかに過ごしてください。もう何も心配しなくても、子どもたちはこんなに立派に成長しています。
エミテワは一児の母になり、子育てしながらマゴソスクール幼稚園で、毎日イキイキと元気に働いています。アタンバとルワビは高校生です。
★Magoso OBOG Club 近況報告★
マゴソ卒業生たちですでに社会人になった子たちが仕事の合間に会いにきてくれました。みんなすでに社会人になって働いていたり、スラムや街のアーティスト集団で役者、詩人、ミュージシャンとして活躍しています。
今すでに働いている子たちも夢をあきらめていません。働きながらお金を貯めて、夢をかなえるためにステップアップしようとがんばっています。皆さん彼らを応援してください!
以下の表記でG3はジェネレーション3(三期生)という意味です。
*ウィニーアチエン(G3) ーマゴソ教員をしながらスチュワーデスを目指す。
左から、キサ、ウィニー、エリック。
*エリックとキサ(G3)ーナイロビ市内の文房具店に勤務しながら大学進学を目指す。
*サムー大工になりマゴソの家具をすべて作っている。一弦楽器オルトゥを弾くミュージシャンとしても活躍中。
*トニー(G2)ーミュージシャン、音楽療法士。
まいどおなじみ、元ストチルのトニー
*ピウス(G4)ースラム詩人。役者。
*ジョンとパトリック兄弟(G5)ー弟パトリックはナイロビ病院前のフルーツスタンドで勤務しながら兄ジョンの大学進学を支える。ジョンはマゴソでボランティアをはじめたところ。
*ラマ(G2)ー警察学校修了、3月から警察官になった。
*ダーヨ(G5)ーマゴソでボランティアをしながら病気の母を助け、大学進学を目指す。
*ナンシー(G1)ーキベラスラムで新しくできた自
キベラスラムでは今、再び強制撤去が進み、新しい道路、
★Magoso OBOG Club New Members 2016 Form1 新メンバー紹介 ★
ジミーJimmy
今年高校に進学したマゴソOBOGクラブの新メンバーをご紹介します。
彼のお父さんはキベラで靴職人をしています。キベラスラムの職人さんたちの技術にはいつも驚かされますが、お父さんは古い道具を使って立派な革靴を作ることができます。スラムの掘っ立て小屋で見事な仕事ぶり! 穴の開いた靴修理や切れたサンダル修理など何でもやります。
お父さんは貧しい村の出身で自分は高校に行くことはできず、小学校を卒業してからキベラスラムに出稼ぎに来ました。現在はこの靴職人の仕事で一日平均150シリング(約200円)の稼ぎを得て、家族を養っています。このお父さんがジミーの高校進学にかける情熱には本当に驚き、涙が出そうになりました。一日150シリングの稼ぎというと、生きていくだけでも精一杯だと思いますが、その貧しい暮らしの中で、お父さんはコツコツと、何年もかけて息子の進学のためのお金を貯めていました。
ケニアの高校に行くためには、入学時に大変な費用が必要になります。学費だけではなく、制服代、教材、学校に持っていくマットレス、シーツ、毛布、私物入れの箱、バケツ、たらい、スプーン、フォーク、カップ、皿など、様々な物品を購入せねばなりません。そこにさらに学費ですから、入学時の一学期目にはその出費は学校にもよりますが6万シリング前後(7万5千円前後)にもなります。
私たちは、マゴソ卒業生の親や保護者たちと話し合いながら、親も精一杯がんばり準備をし、足りないところで私たちが手助けをするという方式を取っています。このやり方は、ただ奨学金を出すよりもかなり辛抱が必要で、簡単に手出しをしてしまうと、がんばれる人もがんばりきれなくなってしまいます。
なので、ジリジリしながらもギリギリまで辛抱強く、励ましながら待ちます。
親は四方八方奔走して、お金をかき集め、準備を進めます。この貧しい親たちがいかに自分のために努力をしてくれたのかという姿を目の当たりにすることは、子どもたちをその後一生支える力になります。
マゴソの子どもたちの多くは孤児ですから、そんな風に自分のためにがんばってくれる親がいない子も多いです。しかし、親がいる子どもたちも、このジミーの両親のように、貧しい中も本当に真摯に生き、子どもの教育に夢をかけて精一杯がんばっている人たちがいます。
入学が決まったジミーの嬉しそうな笑顔を、この写真の中に見てください。
ジミーは喘息もちなので、近くに置いておきたいとのお父さんの願いで、Langata High School に入学しました。
高校入学準備をしている間、ジミー自身もがんばりました。2月初旬、日本からのジャーナリスト三箇さんがキベラ取材を行いましたが、その私の仕事の助手(三脚とライト持ち)としてついて回って、バイト代を制服購入の一部としました。
ジミーはマゴソ音楽チームの一員でもあり、学校が休みのときもいつもマゴソに来て、給食の手伝いなどを積極的にやってくれます。
将来が楽しみです。これから貴重な高校生活を思いきりエンジョイしてもらいたいです。
カリユキ
カリユキは受験で驚くような好成績をおさめましたが、普段の生活では一日のほとんどをクズ拾いに費やしていました。母親が極度の貧困で、家に食べ物がないため、鉄くずや空き缶、プラスチックごみなどを拾い、クズ屋に売りに行き食いつないでいました。ときにはウフルパーク(ナイロビ市内に程近い公園)の池で泳いでいる姿をオギラ先生に目撃されたりなど、かなりコントロール不能でした。半浮浪児でなかなか手ごわかったカリユキですが、オギラ先生とダン先生の丁寧な指導でかなり変化が見られ、まさかの高校進学。お母さんも貧しい中とてもよくがんばって、高校入学の準備に奔走してくれました。
シャロン
シャロンは小さいときに父親を病気で亡くし、母親は子どもを育てていくためにキベラスラムに出稼ぎに来ました。赤ん坊を抱えて、どれほど苦労したかと思います。病気がちの母親をシャロンが助けながら何とか暮らしてきましたが、昨年12月にスラムの火事で仕事場だったオメナ(小魚)を売るキバンダ(露店)が全焼。商売道具もすべて失い、途方に暮れていました。いま娘の教育だけが生活の唯一の希望です。とても真面目で優しいお母さん。
スティーブン
スティーブンはお父さんがいなくて、母親だけで四人の子どもを育ててきました。火事で家は全焼、家財道具もすべて焼け、高校生の娘を2人かかえるお母さんはお手上げ状態で、スティーブンは高校進学をあきらめるように母親から言われ、絶望的な気分になっていました。学費支援を受け、キベラスラムの中の通いの学校に入学しました。
★Magoso OBOG Club近況 マゴソ図書館 ★
マゴソ卒業生Generation3(三期生)のウィニーアチエンは、高校卒業後、マゴソスクールのボランティアを始めて、今では正規の職員になって働いています。
ウィニーは、マゴソ図書館の司書、ビデオ特別授業のコーディネーター、2年生の授業担当と、大活躍しています。かつては生徒だったウィニーが、今ではいろいろなことを相談できて一緒に挑戦できる同僚になったことが頼もしく嬉しいとマゴソ先生方も言っています。
2014年12月2日のキベラ大火災で全焼してしまったマゴソ図書館の蔵書も、以前の規模ではないにせよ、皆様のご協力のおかげでだんだんと復興して、読書好きなマゴソスクールの子どもたちの憩いの場になっています。現在の図書は、NPO Doooooooo, NPOアマニヤアフリカ、YAYAセンターのBOOKSTOPにご協力をいただき寄贈していただいた本、および、その他個人の皆様が持ち寄ってくださった本です。本をご寄付くださいました皆様、本当にありがとうございました!
写真は、借りたい本を選んだ子どもたちが、司書のウィニーに記録をしてもらっているところです。
今後ももしもお手元に不要な英語もしくはスワヒリ語の本がある方々は、ぜひマゴソスクールにお持ちよりくださいますとありがたいです。大人用でも子供用でも歓迎です。(マゴソ図書館は近所の大人や高校生、大学生たちも利用しています。)
絵本なら日本語でもOKです。(もしできたらその絵本の日本語部分を英語に翻訳して貼り付けてもらえるとさらに嬉しいです。)
*郵送で送っていただくと受け取りが困難ですので、ナイロビまでお持ちいただけるようだと非常にありがたいです。