(この写真は、ここまでが強制撤去のラインだよ、というのがよくわかる。境界線ギリギリでかろうじて半分残った長屋。)
長文になりますがすみません。
ここ数日、強制撤去に際していろいろと考えていたのですが、あまり上手に言葉になりませんが思うところを書いてみます。
まずは最初に、私が撮った写真が想像以上のショックを日本の皆さんに与えてしまって本当にごめんなさい。そしてまずはすぐに心を寄せてくださった数多くの皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
この強制撤去に関して、3日たった今日まで、ケニアの新聞やテレビ、ラジオでも、特にニュースにもなりませんでした。それについて思うのは、それだけこれはケニアでは普通のこと、当たり前のことだったのではないか、ということです。
スラムがスラムであり続けていいわけはなく、開発路線まっしぐらの現代ケニアにおいて、活用すべき土地が不法占拠されているスラムは、邪魔で困った存在だという認識は、ほとんどのケニア国民にとって共通認識なのではないかと思います。
ケニア国民は未来への夢を持っています。そのために、開発や発展は、誰にとっても輝かしい夢であり、そうやって進んでいけば未来は明るいと信じています。
それは、スラムの人々にとっても同じことなのです。だから、今回のように撤去に際して暴動も起きず、誰も騒がずに黙々と平静であるのは、それはやはり、当たり前のことが起きたから。いつかはこうなると誰もが知っていたし、こうならないわけはないと知っていたし、遅かれ早かれ、当然のことが起きただけだと、そんな認識なのではないかと思うのです。
しかも、そのような開発は、喜ばしいことなのですから。ケニアにとって必要なことだと、誰もが思っているのではないかと思います。
ただ、そんな様子を目の前にしたときに、私には気づいたいくつかのことがあります。
まずひとつは、世の中の動きから完全に取り残されて無力な人々が確かにいるということ。このキベラスラムは、商売などのために自ら好んでキベラスラムに移り住んだ人たちが数多くいますが、ある意味、スラムで上手に生き抜いていける人は、それだけの器用さや、頭の良さ、技術や行動力がある人、いわゆる「目端が利く人たち」です。そういう人たちは、何があってもあまり痛くもありません。
そもそもが、スラムというのは人々が違法に居住しているわけですが、スラムの利点をうまく利用して上手に立ち回っていける人たちはいます。
しかし、そんなしたたかなキベラ人たちの中に、本当にどうしようもなくどうにもならなかった人生をこれまで生きてきた人たちが、数多く潜んでいるということを、私はマゴソスクールの子どもたちとのつながりから、知っていきました。
例えば、何らかの支援団体が医療や子どもの教育や生活改善などに関しての支援を行っていたとしても、それにアクセスできるのはたいてい、そのようにある程度は器用で話も通じて、目端もきく人々が多いです。
だけど、どうしようもなくどこにも行く場所もない人々は、たいてい、そのような支援にアクセスすることすらできない場合が多いです。
問題に対して受身です。いま世間で何が起きているかということも理解できません。それに対してどう対応したらいいかと考えることも、先の計画を立てることもできません。
今回、強制撤去が行われているその真っ最中に、今すぐこの家にも撤去がやってくるんだから、今すぐ、今すぐ逃げないと。物を持ち出さないと。というような緊急状況のときに、そのままそこにぼーっと座って何もできないでいる人々、特に女性たちの姿をたくさん見ました。
その女性たちは、ショックのあまり呆然としているのではなく、本当にただそこにぼーっと座っておしゃべりをしているだけでした。笑っている人たちもとても多い。強制撤去が進行するスラムの中を歩き回りながら、そんな女性たちと話をしながら、なんでこんなにのん気にしているのだろうかと、その姿に違和感すら感じていました。
だけど一緒に歩いていたオギラ先生が言いました。
「理解できないんだよ。彼女たちにはものすごく限られた理解力しかないんだ。貧しかったから学校をドロップアウトして、文字を書くことも読むこともできない。大事なことを教える親も早く死んだ。いくら話しても、理解できることに限界があるんだ」
確かにその通りだと思いました。
本当なら、こうすれば危機を避けられるとか、そのためにはこんな対策を立てれば被害はこの程度で済むとか、そんな判断ができたり計画が立てられたりするのは、思考できる能力がなければ難しいのです。
告知が出ても、それを理解できないし、撤去がくるからといって、事前にどうしたらいいかもわからない。行く場所もなければ、お金もない。
それでただそのときがくるのを待つだけ。待って、そして目の前でつぶされて、仕方がないと思う。その繰り返しになってしまいます。
この人たちは、確かに、違法に居住するスラム住民なので、「ここにいること自体が間違っている」から、撤去されても文句は言えない。そもそもが、撤去の告知も出していた。(大昔に。)という話。
それはもっともな話なのです。だから、ニュースにすらなりません。当たり前のことが起きたから。別に誰が責められる話でもないし、むしろ、ケニア国民にとっては開発が進むのだから大いに喜ばしい出来事なのだろうと思います。
それを行った行政が、よくやっているねと賞賛されるようなことなのではないかと思います。
だけど私たちは、マゴソスクールの子どもたちに接する毎日から、子どもたちの両親や祖父母や親類縁者、子どもたち自身が接してきた人生状況を知っていきました。
キベラスラムにやってくるまでに、彼らがどのような状況で何があり、ここにたどり着いたのか。100人いれば100人の、千人いれば千人の、絶句するような過酷な人生話がそこにありました。
昨日今日の話ではないのです。子どもたちのその親も、またその親も、その人生に何があってこうなっていったかという、歴史がそこにあります。
ただ単に、「自業自得だから仕方ないね」と言って片付けられないような、いろいろな深い背景がそこにあります。
そもそも、そんな生活状況なのにどうしてこんなに子どもを生んでしまったのよ、と、家をつぶされて路頭に迷っている7人も子どもを抱えた母親や、シングルマザーなのにまだ妊娠してまたさらに子どもを生んでしまった母親などを見て、言いたくなることもあります。
でも以前私は、親しくしているスラムの助産師フリーダさん(いま70歳くらいのケニア人女性)に、こう言われたことがあります。
「私だってずっとそう思ってきたわよ。まともに育てられないくせに、何で生むのよ、と。でも、生まれてくる子どもには何の罪も無い。だからその子どもたちを私は助けたい。そして、貧しい生活の中で数少ない楽しみや喜び。子どもを持つことは彼女たちにとって喜びなのよ。」
そう言っては、フリーダさんはひたすら彼女たちの世話をして、ひたすら赤ん坊を取り上げ、産声をあげない栄養失調の赤ん坊をひたすら蘇生させ、捨てられた赤ん坊を救い出し、育ててきました。黙々と。
いまキベラスラムも、昔のようにのんびりしてのん気で陽気なスラムではなく、生き馬の目を抜くようなせわしない競争社会の世知辛い場所になりました。それでもいまでも下町人情があり、向こう三軒両隣り的な親しさが私は好きで、長年このスラムと付き合ってきました。これまでは、他のどこにも生きる場所がなくても、ここなら生きていける可能性があるというような場所でもあったと思います。
でもやっぱり、時代が変わりました。うまく生きられない人はどんどん追いやられていき、うまくやれる人たちが伸びる、そんな格差社会がスラムの中にだって拡大していっています。世知辛いです。
こんな中で、取り残されていっている彼女たちは、いったいどうしたらいいんでしょうか? 様々な事情で、帰る田舎はありません。だけど例えばママ・ウィルキスタ。そもそもが彼女の暮らしていた家は、ひどかったけど、それでも家賃1500シリングで暮らせていました。でも今回強制撤去に合い、彼女が見つけることができた部屋は3000シリング。家賃が倍になって、ここから先どうやって生きていったらいいのと聞かれても、それなら他にもっと安い部屋があるかというと、ありません。どんどん、どんどん高騰していきます。
彼女も文字も書けない。計算もできない。計画もできない。
だから、問題に対して受身。
教育が、人に何を与えてくれるのかということ。
それは、こういうときの対処の仕方や、どう計画してどう動いたらいいのかとか、判断をすること。
いろいろなことを考えることができる、判断することができる力をつけること。
そう思いました。
スラムには教育が必要です。
教育を受けることができれば、そこから先の人生が変わる可能性が生まれる。
オギラ先生は常々、大人のための夜間学校をやりたいと、言っています。
日本をはじめて訪れたときに、大阪府富田林市の人権文化センターで、大人のための識字学級を訪ねたときに、大きな刺激を受けました。
無学の人が多い。文字のかけない人が多い。
それがどれだけの影響を人生に及ぼしているかということを、オギラ先生は経験的に知っているのだと思います。
大人の夜間学校をマゴソではじめたい。それが私とオギラ先生の間であらためて生まれた夢です。
ただ問題は、自らそこに通いたいと思う人がどれだけいるか、ですね。
何事も簡単にはいきませんけど、その点、いつもリリアンが言うのは、
大人を変えるのは難しいけど、子どもたちはすぐに変わるわよ。ということです。
だからリリアンは、子どもたちのためになることをしたいと。
そしていまオギラ先生は、こんな無学で無力の大人たちの人生を今からでも変えることができるのではないかと!?
まだまだマゴソの仲間たちの挑戦は続きます。
まとまりのない文章ですみません。
キベラスラムの強制撤去に際して、いろいろな雑感でした。
今見たありのままを伝えたいと思っています。いまケニアは大きく動き、大きく変化しています。
より良い未来がありますようにと祈りたいと思います。
目の前に困っている人がいたら、足を止めて話を聞きたいと思います。
その話から、気づかされること、学ばされることがたくさんあります。
皆さん今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2017年2月6日
早川千晶